救いの喜びを取り戻す
ずいぶん昔のことですが、ある都市でごみ埋立地の悪臭が大問題となりました。市は対策として、高圧スプレー機を100 台設置し、各装置から毎分10 リットル以上の消臭剤を50 メートル四方に散布しました。しかし、悪臭を完全に消すことはできませんでした。
ダビデ王は、自分の罪をもみ消そうとしました。人妻であるバト・シェバ と関係を持ち、その夫が戦死するように仕向けた後(サムエル記下11:1-17)、素知らぬ顔で善良な王を装い、人も自分も欺いて、自らの行為を覆い隠そうとしました(25-27 節)。消臭剤で悪臭をごまかそうとするようなものです。しかし、自責の念と神からの責苦に耐え切れず、ついに神に向かって叫びました。「神よ、わたしを憐(あわ)れんでください ……あなたに、あなたのみにわたしは罪を犯し……ました」(詩編51:3、6)。憐れみときよめを求めて祈ったのです。
ダビデはそれまでの知らんぷりを改め、神の御前に己の罪を認めて洗いざらい告白しました(32:5)。神は彼の不従順を赦(ゆる)し、もう一度喜びを味わわせてくださいました(5、7 節、51:14-17)。ダビデ王の抑えきれない賛美は、人々に神の赦しを告げ知らせます。自分の不義を認め、神の正しさに対する忠誠を新たにした王は、赦されて喜び、主の慈しみと正義を宣言しました。
犯した罪であれ、心に秘めた罪であれ、 覆い隠そうとしても無駄です。不従順の悪臭を消し去ることはできません。一方、罪を認めて告白し、非を正して再出発するなら、神はその罪を取り除き、主の恵みと赦しというかぐわしい香りで覆われます。主は、私たちに救いの喜びを取り戻させ、再び主を仰ぎつつ従っていけるようにしてくださいます。
神の良い贈り物を喜び祝うとはどういうことでしょう。今月は、赦しや救いといった神の備えを喜び感謝することについて考えてみました。
【このテーマは今月の以下のエッセーでも取り上げています。】
1日 イエスにとどまる
8日 聖杯
15日 いつも感謝する
22日 喜びのリズム