仕える

見返りを求めない奉仕

マンスリートピック
実践 | 2026年11月のトピック

学校の子ども朝食堂の日、私の他にボランティアは1 人しか来ていませんでした。お腹を空かした子どもたちがやってくる前に準備できるかしらと途方に暮れている、1 人の女性が現れました。そしてすぐさま、「手伝います」と笑顔で声を掛けてくれました。

一緒に手を動かしながら話していると、この女性アニータは仕事と子育てに加え、認知症の母親の介護もしていると言います。多忙な中、貴重な自分の時間をささげてくれたのです。

人のニーズを優先したアニータの姿は、まるでこの世で人々にお仕えになった主イエスのようです。最後の晩餐(ばんさん)の夜、主ご自身も不安だったでしょう。究極の苦しみを受けてこの世を去ると悟りながらも(ヨハネ13:1)、弟子たちの喫緊の必要に配慮し、大切な教えを模範で示されました。

弟子たちの足を洗うために上着を脱がれた時(4 節)、イエスは仕えてもらう権利を捨てられました。本来なら仕えられるべき救い主なるお方が、最も卑しい仕事を引き受けてひざまずき、歩き疲れてタコのできた足をそっとつかんで、泥やほこりを拭われたのです。そして言われました。「主であり、師であるわたしがあなたがたの足を洗ったのだからあなたがたも互いに足を洗い合わなければならない」(14 節)

主は、仕える者の姿を示されました。「人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献(ささ)げるために来たのである」(マルコ10:45)。誰かの心や体の健康のために、また健やかな霊性を育むために、下働きもいとわず謙虚に仕えるとき、私たちは真にキリストの模範に従っているのです。

デイリーブレッド寄稿者Jennifer Benson Schuldt

他人を大切にするとはどういうことでしょう。イエスの愛と力によってよりよく仕えるにはどうしたらよいかを考えてみました。

【このテーマは今月の以下のエッセーでも取り上げています。】

1日 神の善良さが輝く

8日 良い行いに富む

15日 聖書の語る謙遜

22日 召しと応答