赦し

恨みから赦しへ

マンスリートピック
関係 | 2023年4月のトピック

世を恨もうと思っていたわけではありません。けれども、肌の色のせいで嫌な経験をたくさんしました。「いなくていい人」と学校の先生から言われたこともあります。当然、傷つきました。イエスを信じていても傷つきます。傷の痛みは恨みへと変わり、「苦い根が生え出て悩ませ」るのです(ヘブル12:15)。

神を愛し、神に愛されていると信じているつもりでしたが、心に募った恨みが、神と私との間に溝を作りました。

人種差別に憤まんする私には、「すべての人との平和を追い求め、また、聖さを追い求めなさい。聖さがなければ、だれも主を見ることができません」(14節)、「無慈悲、憤り、怒り、怒号、ののしりなどを、一切の悪意とともに、すべて捨て去りなさい」(エペソ4:31)といった聖書の教えは、届きませんでした。そんなことができるのか、と疑う私に、神は3つの方法を示してくださいました。

恨みつらみを神に差し出す。恨みを心から締め出してくださいと、神にお願いしましょう。神は「赦しなさい」と答えられます。どうすれば赦せるでしょう。

神に導いていただく。赦しは、行為ではなく、道のりです。神学者ルイス・スメデスによると、赦しは、加害者を放免することではなく、「癒やしを受け入れる」という表明です。どのように癒やしを受け入れるのでしょう。

聖霊の偉大な力に頼る。そうすれば、内なる聖霊の働きが、証しとなります。「しかし、聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、……地の果てまで、わたしの証人となります」(使徒1:8)。

神が私たちのうちに働いてくださるとき、主が恨みの根から美しい花を咲かせてくださいます。神の愛は、私たちの「土壌」を手入れし、罪深い恨みを恵みに変えてくれます。

デイリーブレッド著者Patricia Raybon

神が赦してくださったように人を赦しなさい、と聖書は教えます。赦せないと思うときでもその教えに沿って生きるには、どうすればよいでしょう。
【このテーマは今月の以下のエッセーでも取り上げています。】
1日 きよさは見かけではない
8日 イエスの元に走る
15日 和解の関係
22日 赦しの力