イエスにあって共に成長する
イエスを信じたばかりの人がバーブに「弟子になるのを助けてくれませんか?」と頼みました。バーブは戸惑いながらも、一緒に聖書を学び始めるのに適した教材を祈りつつ選びました。そして、キリストをさらに知るお手伝いができることに喜びを感じるようになりました。
移民の一家がスーの近所に引っ越してきました。彼女はその家族と親しくなり、子どもたちを家に招いて、自分の子どもたちと遊ばせました。救い主であり友であるイエスについてその母親に話し始め、一家を教会に誘いました。
ジェリーは同僚と話すとき、キリストを信じていることをできるだけ伝えます。信仰を押しつけはしませんが、誰かが興味を持っているようなら、もう少し詳しく話します。そして、もっと知りたいという人たちのために、昼休みに少人数で集まることにしました。
この人たちは、「人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです」(ルカ19:10)と言われたキリストの模範に倣っているのです。イエスが井戸で一人の女性に出会ったとき、その会話から彼女はイエスがメシアかもしれないと信じるようになりました(ヨハネ4:4-26)。そして、自分の村に走って帰り、他の人にイエスのことを伝えました(29節)。その結果、「その町の多くのサマリア人が……イエスを信じた」(39節)のです。
イエスは、私たちを愛し、ご自身のものとしてくださいました。神のものとなった今、私たちは、福音を世界に伝えるというイエスの使命を受け継いでいく特権をいただいています(マタイ28:19-20)。求められているのは、完璧な働きぶりではありません。神についてもっと知りたいという人に手を差し伸べ、共に歩むことです。私たちがそうできるように、神は助けてくださいます。
イエスは弟子たちに「あらゆる国の人々を弟子としなさい」と命じられました。しかし、それは何を意味するのでしょう。私たちはどのようにこの使命に賛同し実行できるでしょう。
【このテーマは今月の以下のエッセーでも取り上げています。】
1日 イエスに従う価値
8日 羊飼いの声
15日 一つの必要なこと
22日 きらぼし