知恵と謙虚
私は書くのが得意だ、と思っていました。小学生の頃から何度も作文を表彰され、てんぐになっていたのでしょう。
ところが、大学に入ると、文章表現の授業でC評価が続き、ある日ついに、「F」と書かれた用紙を返されました。信じられない結果に、平静を装ってはいましたが、ショックで涙がこぼれそうになりました。うぬぼれが過ぎると、痛い目を見ます。「高ぶりが来れば、辱めも来る」(11:2)と箴言が語るとおりです。
「私がF だなんて……」動揺しながら教授のコメントを読むと、文章に問題はないが、事実誤認があるとのことでした。時事問題に関する文章表現の授業で、十分にファクトチェックのできていないものを提出したのですから、F で当然です。
私は自分の落ち度を知り、講義終了後、間違いを指摘してくれた教授にお礼を言いました。翌日、別の教授を訪ね、私に欠けている部分を教えてほしいと頼むと、評価の高かった他の学生の提出物をいくつも見せられました。
プライドが傷つく経験です。しかし、そういう経験がなければ、なかなか謙虚にはなれないものです。謙虚になれば、知恵も得ます(箴言11:2)。謙虚とは、自分を卑下することではありません。何でも自分が一番ではないとわきまえることです。「 そうすれば、主があなたがたを高く上げてくださいます」(ヤコブ4:10)とヤコブは教えます。
このように主によって整えられて歩むなら、失うものなどなく、むしろ得るものばかりです。欠点を認め、助けを求めることで、私の提出物にはA 評価が付くようになりました。そして何よりも、人生の大事な教訓を得ました。謙虚さの中に、知恵はすみかを見つけるのです。
「神は高ぶる者には敵対し、へりくだった者には恵みを与えられる」とは、どういう意味でしょう。今月は、謙遜について、イエスを信じる者として謙虚さを実践することについて考えました。
【このテーマは今月の以下のエッセーでも取り上げています。】
1日 謙虚なスター選手
8日 へりくだる
15日 謙遜がもたらすもの
22日 イエスの靴で歩く