あわれみと正義

あわれみと正義が出会うとき

マンスリートピック
関係 | 2025年8月のトピック

誰かに話したほうがいい? 親や学校に相談する? マンハッタンの進学校に通う少年は悩んでいました。以前は親しかったクラスメートからいじめを受けるようになったのです。学校でもSNSでも誹謗中傷されました。

彼は、勉強に専念し、いじめのことは考えないようにしました。また、加害生徒が罰せられることは望みませんでした。停学などの処分になっても、いやな気持ちになるだけで、お互いのためにならないと思ったからです。

事態に気付いて心を痛めた教師は、「修復的正義」という方法を試そうと提案しました。

元は仲の良かった2 人に対話を促すのです。両者共に思っていることを正直に話し、相手の言い分を聞きました。最終的には加害生徒が謝罪し、和解に至りました。

この関係修復は、元友人へのあわれみと慈しみで実現しました。聖書は、この無類の贈り物を描きます。神は正義のさばきを下されますが、同時にあわれみも与えられます。

イエスは十字架上でこれらを同時に提供されました。私たちの罪のために、ただ一度ご自身を献げられたことにより(ヘブライ10:10)、正義の神を満足させる一方で、私たちにあわれみ慈しみを施されたのです。

イスラエルの民もあわれみによる猶予を頂きました。「焼き尽くす献げ物」「幾万の油の流れ」(ミカ書6:6-7)などを神にむなしく献げようとする民に、預言者ミカは告げました。「人よ、何が善であり 主が何をお前に求めておられるかは お前に告げられている。正義を行い、慈しみを愛し へりくだって神と共に歩むこと、これである」(8 節)

正義を求めるほど熱心にあわれみを施そうとしていますか。あわれみは、神聖な贈り物。犠牲を伴っても渡す価値のある贈り物です。

デイリーブレッド寄稿者Patricia Raybon

あわれみと正義はどちらも人間関係に欠かせない要素です。
【このテーマは今月の以下のエッセーでも取り上げています。】
1日 人生は不公平か
8日 弱者に寄り添う
15日 神の品性
22日 神の心を反映する