家族関係について

     



すべてにまさる神よ、あなたは、両親を敬う人は祝福され、長生きすると約束されました。この戒めは、当たり前のように見えますが、実は従うのは困難な戒めです。

小言を言い過ぎると感じて、母に腹を立てたり、無視したりすることがあります。母の機嫌を損ねることをうっかりしてしまうこともあります。 自分のことに忙しく、母のニーズに無関心なこともあります。主よ、弱い私を助け、優しさを増し加えてください。

母の必要に敏感になれるように、母に心配をかけないように、天の知恵をください。自分の親だけでなく、配偶者の親にも孝行できるように助けてください。

主イエス・キリストの名において祈ります。アーメン!

関連する聖書:箴言10:1、23:25、エペソ6:1-3、コロサイ3:20

考えてみましょう


1. あなたにとって親を敬うとは、どういうことですか。

2. 親と意見が食い違うときにも、親を敬うとはどういうことですか。


老いという国



聖書のみことば:  マルコ7:1-13

もしも親族、ことに自分の家族を顧みない人がいるなら、その人は…不信者よりも悪いのです。―Ⅰテモテ5:8

メアリー・パイファーは、人生のさまざまな状況に直面する70~90代の人々に会い、著書『アナザー・カントリー』を書きました。

パイファーは、「老いという国を理解したかった…私たちは、年を取るということが容易にできない環境に置かれている」と述べています。彼女が分析する根本的な問題は、若年層と高齢者層が分断されていることで、それは両方にとって弊害がある、というものです。

この社会的傾向は、必ずしも意図的ではありません。しかし、多くの人は高齢者に対する責任を無視したり、回避したりしています。

イエスの時代、パリサイ人たちは家族の義務を免れる巧妙な方法を編み出しました。イエスはマルコの福音書7章9~13節で、両親の世話をするために財を使わずに、それを(コルバンであると宣言して)神へささげるという当時の風習を批判されました。この習慣は、父と母を敬いなさいという律法に反していたからです。

子育て、仕事、教会の奉仕など、私たちは多くのことに振り回されています。しかし、それを言い訳にして、老いていく親の面倒をできる限り見るという責任を回避してはいけません(Ⅰテモ5:8)。自分たちが「老いという国」に入るとき、子どもたちが見習うべき手本は作ってあると言いたいものです。


親を敬うという行為は、手本を見て学ぶものだ。


作者:Dennis Fisher