1年で聖書を!
◆ 創世記29-30
◆ マタイ9:1-17
◆ 創世記29-30
◆ マタイ9:1-17
聖書のみことばマタイ6:1-6,16-18
隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。―マタイ6:6
最近、多くの人に感銘を与えてきたクリスチャンの音楽家の葬儀に出席しました。彼女に対する感謝と賛辞が、映像や音楽、生演奏やスピーチによって次々と表されました。人々が教会を去ったのち、私は設備室に立ち寄って、この感動的な追悼式を支えてくれた映像と音響のスタッフに感謝しました。「君たちの貢献に誰も気づいていないね」と言うと、彼らは「そのほうが良いと僕らは思っているのです」と答えました。
マタイの福音書6章で、施し(1-4節)、祈り(5-6節)、断食(16-18節)は神に喜ばれるためにしなさい、人に褒められるためにしてはいけませんと、イエスが弟子たちに教えておられます。主は「あなたは、祈るときには自分の奥まった部屋に入りなさい。そして、戸をしめて、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい」(6節)と語られました。それが施しや祈り、また、断食であったとしても、人知れず実行するなら、「隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます」(4、6、18節)と語っておられます。
良いことをしたときは、人に見てもらいたい、また「よくやったね」と言ってもらいたいという気持ちがあります。感謝を表したり、褒めてあげたりするのは良いことですが、認められたいという欲求は、奉仕にとってマイナスです。というのはその場合、奉仕の焦点は自分の「隣人」にではなく、自分自身にあるからです。感謝されなくて無視されたように感じることもあります。しかし、人知れず神に仕えたとしても、神はすべてをご覧になっておられます。
報いは努力して得るものではない。自然に与えられるものである。
トピック:
キリスト/神に対する愛