1年で聖書を!
◆ 創世記27-28
◆ マタイ8:18-34
聖書のみことばヨハネ13:33-38

 
ダビデは、その生きていた時代において神のみこころに仕えて後、死んで ―使徒13:36


友人は長年、宣教師としてスリナムで働きました。そして晩年、病気で身体が麻痺しました。「神はなぜ、僕を生きながらえさせるのだろう。主のもとに行きたいのに…」と彼は思いました。
 

「生きているのが辛い」という状況の人がいたとしたら、なぜ、神はこんな状態をつづけられるのか、と思うかもしれません。イエスが御国に戻っていかれるとき、「主よ。なぜ今はあなたについて行くことができないのですか」(ヨハ13:37)とペテロは尋ねました。ペテロのように、今すぐ御国に入れていただけないのはなぜだろう、と思うかもしれません。

しかし、私たちが地上に残されているのは、神の愛に満ちた有益な目的があるからです。私たちの内に成されるべき神の御業が残っていて、それは地上でしか果たしえません。苦難は一時的であり、「測り知れない、重い永遠の栄光」(Ⅱコリ4:17)をもたらしてくれます。

人のために果たすべきこともあります。愛し、祈ることしかできなかったとしてもです。あなたの存在理由は、周りの人が(あなたの世話をすることで)愛やあわれみを学ぶことなのかも知れません。

早く天国に行きたい(または、行かせてあげたい)と願う状況はあるかもしれませんが、肉体をもった「生」によって多くの実を結ぶことも可能です(ピリ1:21)。また、待つことの中にも慰めがあります。神には神の目的があります。確実にそうです。

(David Roper)

神がきちんと支配されていると知ることが一番の慰めだ。