1年で聖書を!
◆ 出エジプト記39-40
◆ マタイ23:23-39
聖書のみことば コロサイ3:8-17

 
そこには、ギリシヤ人とユダヤ人、割礼の有無、……奴隷と自由人というような区別はありません。キリストがすべてであり、すべてのうちにおられるのです。―コロサイ3:11


ワシントンポスト紙の記事によると、偏見の実態に関する研究の結果、ほとんどの人は偏見を抱いており、偏見は良くないと積極的に反対する人でさえ、その影響を受けていることが分かりました。ケンタッキー大学の心理学者によれば、私たちの自尊心は、自分の属しているグループが他より優れている、という優越感からくると言います。偏見を乗り越えるのは簡単ではありません。それは、神の家族であっても同じことです。

パウロがコロサイのクリスチャンに述べたことは、今日の私たちに向けた教えでもあります。すなわち、私たちが他のクリスチャンに対して言うことやすることは、クリスチャンの一致を反映すべきだというものです。パウロは言いました。「(あなたたちは)新しい人を着たのです。…そこには、ギリシヤ人とユダヤ人、割礼の有無、未開人、スクテヤ人、奴隷と自由人というような区別はありません。キリストがすべてであり、すべてのうちにおられるのです」(コロ3:10-11)。私たちは、優越感に浸ったり、偏った扱いをしたりしてはいけせん。むしろ、同情心、慈愛、謙遜、柔和、寛容などを反映させる言動をすべきです(12節)。また、「これらすべての上に、愛を着けなさい。愛は結びの帯として完全なものです」とも教えられています(14節)。
 

キリストのからだには、人種、国籍、社会的立場の優劣はありません。キリストは十字架によって、私たちをひとつにしてくださいました。ですから、私たちは相手を尊重し、誠意と愛をもって交わりをすべきです。

(David McCasland)

偏見は、見るものをゆがめさせ、語るときには偽らせ、行動するなら破壊に至らせる。