1年で聖書を!
◆ Ⅰサムエル記13-14
◆ ルカ10:1-24
聖書のみことば イザヤ書46:1-9

 
わたしは(あなたを)背負う。―イザヤ書46:4


イザヤ書46章は、バビロンが敵に包囲されて人々が偶像を避難させる様子を描いています。偶像を乗せた荷車はきしみ、それを引く家畜は荷の重さに疲れてうめきます(1節)。

それに対して、神の子どもたちは神が運んでくださると、イザヤは語ります(3節)。神は宣言されました。「あなたがたがしらがになっても、私は背負う」(4節)と。
 

原文のヘブル語では、双方の対比が正確かつ鮮やかに表現されています。荷車は偶像の重荷を「背負い」(1節)ます。しかし、私たちは神に「背負われて」います(3節)。偶像は運ばなければならない「重荷」ですが(1節)、神は私たちを胎内にいるときから「にない」、喜んで運んでくださいました(3節)。

神は「そうしてきた」(4節)と言われます。天の父が、私たちを愛し、私たちの世話をしてくれると言っておられます。それが、何よりの平安を私たちにくれます。神は「わたしは背負う」と約束してくださいました。それは、私たちの人生全般における心配ごとや悩みをいつでも担ってくださるということです。

ですから、すべての重荷と一緒に、私たち自身も神に背負っていただきましょう。アニー・フリントは、神の愛を体験しなさいと、歌を書いてチャレンジしました。「恐れるな。神の備えはあなたの必要にまさる。私たちの神は、分け与えたいと切望しておられる。永遠の力を持つ御手にゆだねよ。あなたの天の父は、あなた自身とあなたの重荷を引き受けてくださる。」

(David Roper)

私たちの分担は思い煩いを手放すことで、神の分担は問題を解決してくださることだ。