1年で聖書を!
◆ Ⅰサムエル記19-21
◆ ルカ11:29-54
◆ Ⅰサムエル記19-21
◆ ルカ11:29-54
聖書のみことば ルカ11:29-45
ヨナがニネベの人々のために、しるしとなったように、人の子がこの時代のために、しるしとなるからです。―ルカ11:30
サウスカロライナ州の夫の実家に車で向かったときのことです。高速道路は渋滞もなく、私たちの旅は順調でした。そして、テネシー州の山間部に入ったとき、私は迂回するように告げる警告標識に何度か気づきましたが、夫のジェイは何も言わず走りつづけました。それで、私たちには関係ないことなのだと思いました。ところが、ノースカロライナ州に入る手前の地点で、この先の道路は落石のために閉鎖されているという標識に突き当り、引き返さざるをえませんでした。夫は驚いて、「どうして何の警告もなかったのだろう」といぶかしげに言いました。「たくさんあったわよ。気づかなかったの?」と私。「うん全然。どうして教えてくれなかったんだい」と彼。「当然、気づいていると思ったもの」と私。これは、今では笑い話です。
神は歴史を通して数多くの警告を出して、どのように生きるべきかという道を示されましたが、民は自分勝手な道を進みました。神はついに、ご自分のひとり子を「しるし」としてお遣わしになりましたが(ルカ11:30)、当時の宗教指導者たちは、このお方が語る警告の数々に注意を払いませんでした。この人たちは人に認められ、人から尊敬される心地良い生活を送っていました(43節)。それなのに、あなた方は間違っている、とイエスに指摘されて、憤慨したのです(45節)。
私たちも同じかも知れません。己を顧みて間違いを正すように言われても、自分の人生が順調なときは、そんな警告を無視しがちです。私たちは、人生が順調でも間違っていることもある、と覚えておくべきです。
神の警告は、私たちを罰するためでなく、私たちを守るためだ。