1年で聖書を!
◆ ネヘミヤ記1-3
◆ 使徒2:1-21
聖書のみことば イザヤ書55:6-13

わたしのことばも、むなしく、わたしのところに帰っては来ない。必ず、わたしの望む事を成し遂げ、
イザヤ書55:11

自分で聖書を読むことの大切さについて、ある青年実業家と話していたとき、彼は「レビ記も本当に読まなければならないのですか?」とまじめに尋ねました。「旧約聖書は退屈で難解に思えるので」と言いました。

多くのクリスチャンも同じように感じています。しかし、読まなくてはならないのです。レビ記も含め、旧約聖書には、新約聖書を理解するために不可欠な背景や対比が書かれています。イザヤは、神を求めなさいと勧めていますが(イザ55:6)、一方で、みことばは神の目的を成し遂げると語っています(11節)。さらに、「神のみことばは生きていて、力があり」
(ヘブ4:12)、「教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です」(Ⅱテモ3:16)。
 

聖書のみことばが無駄になることは決してありませんが(イザ55:8-11)、そのことを実感するのはずいぶん後になってからかもしれません。それは、私たちが聖書を読んだり暗唱したりして心に蓄えた真理を聖霊が用いて、必要なときにみことばを示してくれるからです。そして、そのみことばを適時に適用できるよう助けてくださいます。たとえば、レビ記19章10~11節は、ビジネスにおける競争と貧しい人への配慮について語っています。もし私たちが、その個所をきちんと読んで黙想したことがあるなら、御霊はこのコンセプトを思い出させてくれ、私たちはそれを用いることができるでしょう。

聖書を読むことで、私たちの心はみことばの宝庫となり、そこで御霊は働かれます。これがレビ記のみならず、聖書の全66巻を読むべき大きな理由です。

(Randy Kilgore)

神のみことばを理解したいなら、神の御霊を頼りにしよう。