1年で聖書を!
◆ 詩篇26-28
◆ 使徒22
聖書のみことば 創世記45:1-15
 
今、私をここに売ったことで心を痛めたり、怒ったりしてはなりません。
―創世記45:5

罪の記憶が、救いの喜びをかき消してしまうことがあります。「あんなことをしてしまった自分を赦すことさえできれば」と思ったり、そう言っている人の話を聞いたりしたことがあるかもしれません。罪悪感にさいなまれて、いつまでもくよくよしている人もいます。

ヨセフが兄弟たちに向かって、「私はあなたがたがエジプトに売った弟のヨセフです」と告白すると、彼らは「驚きのあまり、答えることができ」ませんでした(創45:4)。年老いた父ヤコブと弟ヨセフを苦しめてしまった記憶がよみがえり、罪悪感と恐れに襲われたからです。ヨセフはこれを察知し、彼らを安心させようとこのように語りました。「今、私をここに売ったことで心を痛めたり、怒ったりしてはなりません。神はいのちを救うために、あなたがたより先に、私を遣わしてくださったのです」(5節)。
 

罪を犯して他人を傷つけたなら、ヨセフの兄たちと似たような立場になるかもしれません。しかし、もし神の前に罪を悔い改めたら、その罪はすでに赦されています。安心しましょう。罪の記憶がよみがえってきたとしても、それは聖霊の働きではありません。

聖書は、「心の霊において新しくされ」なさいと教えています(エペ4:23)。私たちは、自分の過去の罪ではなく、救い主イエスに心の焦点を合わせなければなりません。自分が何をしでかしたかよりも、むしろ、主がすでに成してくださった業に目を向けるのです。つまり、私たちの罪を贖うために十字架上でささげられた犠牲です。主は私たちの罪を赦してくださいました。そのことを覚えるなら、過去の罪を「忘れられる」ようになります。 
(Dennis De Haan)

天の御父は、罪悪感という重荷を神の子どもたちに背負わせたいとは思っておられない。