1年で聖書を!
◆ 詩篇146-147
◆ Ⅰコリント15:1-28
聖書のみことば 創世記1:26-31
 
神は仰せられた。「さあ人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて。―創世記1:26

仕事はアダムとエバの罪の結果、もたらされた呪いだと考えながら育ったクリスチャンがいます。この考え方が放置されると、普通の仕事は神の目に尊いことではないと考えたり、牧師や宣教師の働きよりも劣っていると思ったりします。ところが、創世記1章26~31節を読むと、それは間違いだと分かります。

まず私たちは、神ご自身が労働に従事されたことを学びます。つまり6日間、創造という労働をされ、7日目に休まれたことが聖書に証されているのです。次に、私たちは神に似せて造られ、被造物を統治するようにと、神に命じられたことが分かります。つまり、私たちは、被造物の世話という労働を担わされたのです。神がお造りになったものの世話をすることが、高尚で立派な仕事であることは明らかです。なぜなら、神ご自身がこの労働をご覧になり、「非常に良かった」と宣言されたからです(31節)。
 

労働が良いと宣言されたのは、罪がこの世に入る前であったことに着目しなくてはいけません。人が働くのは堕落の結果ではなく、よって、仕事は呪いではありません。仕事が神のみこころであることは、創世記2章に、神が「人を取り、エデンの園に置き、そこを耕させ、またそこを守らせた」(15節)と書かれていることによっても明らかです。

私たちの日々の仕事は、会社でする仕事でも、家事や育児、または介護であっても、神が創造の御業の中で威厳と品位を与えたものです。それを意識して、日々仕事に励みましょう。

(Randy Kilgore)

神よ、人生が終わるまで仕事を与えてください。そして、仕事が終わるまで、命を与えてください。