1年で聖書を!
◆ エゼキエル書14-15
◆ ヤコブ2
聖書のみことば マタイ5:9,38-48
 
平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるから。
―マタイ5:9

ときどき思い出す日曜学校の賛美歌があります。それは、イエスが惜しみなく与えてくださる平安の祝福を歌っています。人の理解を超えた平安が、心の中にずっとある、という意味の歌詞がついています。
 
良い歌ですが、これだけでは不十分です。神の平安はまさしく神からの贈り物で、神のご臨在を信じる私たちは、それを享受することができます(ヨハ14:27、16:33)。しかし、主の平安を自分たちの中に留めておくだけ、というのは、神のご計画ではありません。平安とは、自分の周りの人たちと分かち合うべきものです。平安とは、クリスチャンの人間関係、そして教会の雰囲気を特徴づけるべきものです。
 

イエスは山上で「平和をつくる者は幸いです」と教えられました(マタ5:9)。つまり私たちは、平和をつくることを意識して、人と接していかなければなりません。私たちは平和よりも問題をつくりがちなので、これは重要な忠告です。

平和をつくるとは一体、どのようなことでしょう。平和をつくる人とは「右の頬を打つような者には、左の頬も向け」(39節)、「一ミリオン行けと強いる者とは、いっしょに二ミリオン行き」(41節)、「自分の敵を愛し、迫害する者のために祈」(44節)る人です。

なぜ、私たちはそうしなければいけないのでしょう。それは、神が平和をつくるお方だからです。平和をつくるなら、私たちは「神の子どもと呼ばれ」ます(9節)。神の家族の特徴は、平和をつくることなのです。

(Joe Stowell)

私たちは神と和睦し、神の平安もあるので、神のために平和をつくる者となれる。