1年で聖書を!
◆ 出エジプト記14-17
聖書のみことば マタイ9:9-13
 
医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。―マタイ9:12

私たちの町の地方新聞のひと隅に1970年代半ば、離婚調停の申し立てと離婚成立の公示が載るようになりました。私たちの教会のフラナガン牧師は、毎週、そこに掲載される多くの名前を見て、それらは単なる文字ではなく、一人ひとりの人間だと強く感じるようになりました。

それで、離婚から立ち直るためのセミナーを開いて、辛い体験をした人たちに、キリストにある癒しと助けの手を差し伸べました。このことを、離婚を容認する行為ではないかと批判した教会員もいましたが、フラナガン師は、助けを必要とする人たちに神のあわれみの手を差し伸べているだけですと、穏やかに語りました。

イエスは取税人のマタイに「ついて来なさい」と言われ、マタイはそれに従いました(マタ9:9)。その後、マタイはイエスを食事に招きましたが、それを見ていた宗教指導者たちは、イエスは取税人や罪人と食事をともにしていると批判しました。そこでイエスは、次のように言われました。「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。『わたしはあわれみは好むが、いけにえは好まない』とはどういう意味か、行って学んで来なさい。わたしは正しい人を招くためでなく、罪人を招くために来たのです」(マタ9:12-13)。イエスは偉大な癒し主で、私たちが困っているときに、その場で出会うことを願っておられます。そして、罪の赦し、癒し、さらに希望を差し出されます。それをいただく価値は私たちには無いのですが、それでもイエスは、無償であげようと言われます。

困っている人に手を差し伸べることで、キリストにある神のあわれみを差し出すことができます。キリストの癒しに導くことができます。

(David McCasland)

神のあわれみを体験すれば、神のあわれみの担い手になりたくなる。