1年で聖書を!
◆ レビ記1-4
聖書のみことば マタイ5:1-12
 
あわれみ深い者は幸いです。その人たちはあわれみを受けるから。―マタイ5:7

サメが襲ってくるのはほとんどの場合が水中に血の気配を察知したときだ、と研究者たちは言います。血はサメの摂食メカニズムの引き金となります。そして大抵の場合、複数で獲物を襲撃し、血に狂ったように競って獲物をむさぼり食うのです。水中に血を流すのは、サメを恐れる者にとって自分を危険にさらすことです。

悲しいことに、傷ついた人たちに対してこのように対応する教会の人たちがいます。教会は、互いに手を差し伸べ、心を配り合い、共に成長する共同体であるべきですが、互いの失敗や欠点という「水中の血」を探して論じ合う危険な場所にもなりえます。そうなるなら、サメの食事のような状況になってしまいます。

落ち込んでいる人を足蹴にするのではなく、その人が立ち直れるように、キリストにあって励ましの手を差し伸べるべきです。もちろん罪を容認するのはいけませんが、主はあわれみ深くありなさいと呼びかけておられます。イエスは「あわれみ深い者は幸いです。その人たちはあわれみを受けるからです」と言われました(マタ5:7)。あわれみとは、受ける資格のない人に与えられるものです。私たちが受けるべきものは、永遠のさばきでした。このように私たちをあわれんでくださった神が、互いをあわれみなさいと教えておられます。

水中に血を見つけたら、あわれみの手を差し伸べましょう。人にあわれんでもらわなければならない日が、私たちにも訪れるかもしれないのですから。

(Bill Crowder)

人をあわれまなくてもよいときは、キリストが私たちをあわれまなくなったときだ。