1年で聖書を!
◆ 詩篇46-48
聖書のみことば Ⅰテサロニケ3
 
このような苦難の中にあっても、動揺する者がひとりもないようにするためでした。あなたがた自身が知っているとおり、私たちはこのような苦難に会うように定められているのです。―Ⅰテサロニケ3:3

幸せを感じられない若者をテーマに執筆を続けるローリ・ゴットリーブへのインタビューは、「親は子どもを幸せにするために必死になりすぎていませんか」「それが結果的に逆の効果をもたらしていませんか」で始まります。ローリの結論は、「そのとおり」です。失敗や悲しみを経験しないように自分の子どもを守り過ぎる親は、現実ではなく偽りの世界観を子どもに与えてしまいます。それによって、子どもは世間の厳しい現実に対応できる力を育てることができません。そして、むなしさや漠然とした不安にさいなまれるようになると言います。

クリスチャンの中にも、神は自分たちをすべての悲しみや失望から守ってくれる親のような存在だと考えている人がいます。しかし、天の父はそのような方ではありません。神は愛を持って、自分の子に苦しみを体験させられます(イザ43:2、Ⅰテサ3:3)。

楽な人生が私たちを幸せにするという誤った考えから始めると、その間違った考えを実現しようとして疲れ果てます。しかし、人生は困難なものだという真実に向き合うなら、正しくて敬虔な人生を追い求めるために、頑張ろうと努めることができるでしょう。このように生きていくなら、実際に困難が訪れたとしても、強く生きていくことができます。

神の目標は私たちを聖くすることであって、ただ幸せにすることではありません(Ⅰテサ3:13)。また、私たちは聖くなるとき、本当の意味で幸せになります。人生に満ち足りるようになるのです。

(Julie Ackerman Link)

満ち足りた人は逆境も順境も受け入れることを知っている。