1年で聖書を!
◆ 詩篇85-87
聖書のみことば マタイ26:57-64
 
イエスは黙っておられた。それで、大祭司はイエスに言った。「……あなたは神の子キリストなのか、どうか。その答えを言いなさい。」―マタイ26:63

私の住むアメリカ北東部ニューイングランド地方では、誰もが熱狂的なプロ野球ファンです。例えば、ボストン・レッドソックスの話を就業中にするのが社則に反していたとしましょう。それでも、ファンは話さずにはおれません。それほどレッドソックスを愛しています。

さて、クリスチャンはどうでしょう。神について話すべきでない時が、クリスチャンにあるでしょうか。私は、あると思います。

例えば、キリストを信じる信仰について悪意ある質問が投げかけられたなら、多くの場合、沈黙こそが最善の応答でしょう。イエスは大祭司カヤパの敵意のこもった質問に対して、まず沈黙されました(マタ26:63)。主は、大祭司カヤパが真実に無関心だとご存知でした(59節)。一方、私たちには他人の心は分かりません。ですから、「ひとりひとりに対する答え方」(コロ4:6)が分かるためには、どのような状況にあっても、聖霊の導きに敏感でなくてはなりません。

質問に答えていると話がキリストからそれていくなら、会話を一端中断して、日を改めて話したほうが良いかもしれません。信仰の話をしていて自分や同僚の仕事に支障が出るなら、当然、仕事に集中すべきです。あるいは、信仰の話に常に抵抗する人たちには、押しつけだと思われないように、もう話さないほうが良いかもしれません。

忘れないでください。クリスチャンは、神の恩寵の証人です。口だけではなく行動でも、それを示さなくてはなりません(Ⅰペテ3:1-2)。

(Randy Kilgore)

沈黙は福音伝道のひとつの方法になる。