1年で聖書を!
◆ イザヤ書46-48
聖書のみことば ヨシュア記3:1-11
 
あなたに向かって、私は手を差し伸べ、私のたましいは、かわききった地のように、あなたを慕います。―詩篇143:6

モアブの丘から「約束の地」を初めて見たとき、がっかりしました。「昔、イスラエル人たちが到着したとき、彼らの見た風景は、これとは違っていましたか?」私は、エリコの方角を見ながら、ガイドに尋ねました。ヨルダン川の西側には、がらっと違う光景が広がっていると思っていたのです。しかし彼女は、「いいえ。何千年も同じ景色です」と答えました。

私は質問を変えて、「イスラエル人たちは、ここで何を見ましたか?」と尋ねました。その答えは「世界で一番大きなオアシスです」でした。

「なるほど」と思いました。私自身は、冷たい水を常備したエアコン付きの贅沢なバスで砂漠を横断してきました。そんな私にとって、オアシスの風景は目を見張るものではありません。ところがイスラエル人たちは、何十年もの間、暑く乾いた砂漠を徒歩でさまよっていました。彼らにとって、遠くにかすんで見える薄緑色の広大な広い土地は、生命を支え、活力をよみがえらせる水を意味していました。彼らは渇いており、疲れていました。私は元気で爽快です。この地に至るまでに、彼らは40年を費やしましたが、私は4時間です。

神の慈しみは、オアシスのように、乾いて困難な場所にあります。私たちは快適な生活をしているせいで霊的な感覚が鈍くなり、神の慈しみを味わうチャンスを見逃してしまった、ということがよくあるのではないでしょうか。神の贈り物は、疲れて渇いているときにハッキリと見えます。乾ききった地のように、神を求めましょう(詩143:6)。

(Julie Ackerman Link)

イエスは、たましいの渇きをいやすことのできる唯一の泉だ。