1年で聖書を!
◆ エレミヤ書30-32
◆ エレミヤ書30-32
聖書のみことば ヘブル4:9-16
私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。―ヘブル4:15
心理カウンセリングの訓練を受けた牧師が、大切なものを失った人の苦悩は、必ずしも目下の喪失ではないと語りました。最大の問題は、喪失の後に訪れた人生に適応することです。かつては「普通」だったことが、もはやそうではありません。ですから、この人たちが「新たな普通」を受け入れていくことができるように、支えるべきだというのです。健康や大切な人、やりがいある仕事の存在は、その人にとってもはや「普通」ではありません。病と共生したり、愛する人に先立たれてひとりで生きていく人生が、新しい「普通」です。どんなに納得できなくても、全く違う別の人生を生きていくことを余儀なくされたのです。
人はこういう局面で、自分の気持ちは誰にも分からないと考えがちです。けれども、それは違います。イエスが来られた理由のひとつは、人の世界で人として生きる体験をするためであり、そこから「私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みにあわれたのです」(ヘブ4:15)というみことばが生まれました。
私たちの救い主は罪のない完璧な人生を送られましたが、同時に、不完全なこの世の痛みも味あわれました。主は、悲しみに耐え、苦しみを通られました。ですから、私たちが人生の闇を歩みながら「新しい普通」を受け入れることを余儀なくされたとき、イエスは分かってくださいます。ともにいて、支え励ましてくださいます。
イエスは悲しみという砂漠の中に、希望というオアシスを与えてくださる。