父はふるさとの思い出をたくさん話してくれました。子どもの頃は、毎年夏になると帰省する父に連れられて、わくわくしながら家族で出掛けて行き、そこで休暇を過ごしました。父と一緒にセントジョセフ川で釣りをしました。また、父が少年時代を過ごした農場を訪れると、父から聞いていた話の数々が鮮明によみがえってきて、それらを追体験することができました。今でも子どもや孫たちと一緒にそこを訪れることがあります。その場所は、私のふるさとではありませんが、自分の居るべき場所のような、懐かしい気持ちになります。
イエスは弟子たちに、ご自分の故郷(すなわち天国)の家について、次のように話されました。「わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。…あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。…わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです」(ヨハ14:2-3)。イエスは「ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍」ばれました(ヘブ12:2)。ですから、故郷である天国の家に帰って、そこにおられる御父のもとに私たち神の子どもを呼び寄せることができるのを、本当に楽しみにされていたに違いありません。
イエスが御父の家に私たちを連れて行ってくださると思うと、期待に胸をふくらませずにはいられません。そして、この良い知らせをみんなに伝えなければと思います。神の御子が、私たちをこの傷んだ世界から救い出すために、来てくださったことを伝えなければならないという気になります。
イエスだけが、確かな居場所があるという絶大な安心感で私たちを満たすことができる。
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天国