大学で作文の授業を担当したときは、授業中にも文章を書かせるようにします。学生が授業中に書いた文章は、その人自身の作品です。そこから、一人ひとりの学生の「書く声」を分かっていくので、もし他人の作品からの「借用」がいささか過ぎるなら、私はすぐに気づくことができます。学生たちは、作品の内容や表現などは「書く声」であり、自分の肉声と同じように自分独特のものだということを知ると驚きます。口から出る言葉がその人の心を映すように、書く内容や表現の仕方も、その人を映し出します。私たちが書く文章は、私たちの人格を表します。

私たちにとって、神の声に慣れ親しむのも同じことです。神が書かれた文章を読むことによって、神が誰であり、ご自分をどのように表現なさるお方かが分かります。しかし、サタンは声色を使って、神のふりをします(Ⅱコリ11:14)。神のみことばをちょっとひねって、真理にはずれたことをもっともらしく吹聴します。例えば、敬虔そうに振る舞う(つまり、形から入る)ことを勧めて、キリストの死ではなく、自制や訓練を頼るように導きます。サタンはこのようにして、多くの人々を迷わせました。

私たちが間違いなく神の御声を聞けるように、神は思い切ったことをされました。神のみことばをくださっただけでなく、肉体となった神のみことば、すなわち御子イエスをくださったのです(ヨハ1:14)。そのおかげで、私たちは簡単には騙されたり惑わされたりしなくなりました。