大きな試練に見舞われたあと、信仰者の人生の何が変わるのでしょう。侵入者から家族を守ろうとしたジャマイカ人男性が、誤って18歳の自分の娘を撃って殺してしまったという事件を知って考えました。

報道によると、彼は翌日、いつもどおり教会に行ったそうです。心はひどく乱れていましたが、それでも神に助けを乞い求めていました。事件前に神を信じる信仰が彼を導いたように、事件の後も、神が支えつづけてくださると信じていました。

彼の話に照らして自分のことを考えました。私も10代の娘を亡くしました。メリッサが亡くなる前、私は人生や信仰をどのように見ていたでしょう。それを再検証するために、娘を亡くす以前に「デイリーブレッド」に書いたエッセーを、パソコンの保管ファイルから取り出しました。当時の私が書いたことと、現在の私の認識は合致しているでしょうか。厳しい試練が、信仰に対する考え方を変化させたでしょうか。その年の5月、私は次のように書きました。「ダビデは、神のところに大胆に進み出て、自らの心の内を語ることを恐れませんでした。…神に心を打ち明けることを恐れなくてもよいのです。」

試練に会う前、私は神のもとへ行き、神は私の話に耳を傾けてくださいました。あのことがあった後もなお、神は私の声に耳を傾け、慰め、支えてくださっていると信じています。ですから、私は祈りつづけます。私の信仰は失われず、むしろ強められました。神は試練の前も後も、神だからです。