著名な作家、スタッズ・ターケルが次の作品の題材を探していたとき、友人のひとりが「死」を提案しました。当初は拒否反応がありましたが、構想が少しずつ形になりかけてきました。そして、60年来連れ添った妻が亡くなったとき、ついにその本を書かなければと思うようになりました。今や、その探究は彼自身の問題でした。死の先に何があるか、愛する人はどこへ行ってしまったのか…。私たち自身、信仰の人生を歩みながら、イエスを探究し、永遠についての疑問や懸念の答えを求めます。この本は、そのような自分自身の姿を垣間見る感動の著書です。
私は、イエスを信じたなら自らの罪が赦され、死んだ後はイエスと共にいるのだと信じていて、そのように確信できることに感謝しています。これ以上の希望はありません。
この希望をできる限り多くの人と分かち合うというのは、私たちに与えられた特権です。ペテロの手紙第一3章15~16節は、「あなたがたのうちにある希望について説明を求める人には、だれにでもいつでも弁明できる用意をしていなさい。ただし、優しく、慎み恐れて、また、正しい良心をもって弁明しなさい」と語ります。私たちは、ダビデが言うように、神から「御名を呼び求め…そのみわざを国々の民の中に知らせ」る(Ⅰ歴16:8)機会を与えられています。
私たちの大切な人たちの物語はまだ終わっていません。彼らにイエスの愛を伝える特権は、最も貴重な賜物です。
私たちの日々が、イエスの物語を伝える切望と機会にあふれたものでありますように。
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イエスを証する