私たち夫婦は650キロほど離れたミズーリ州に住む娘の家に車で行くために、カーナビを設定しました。州間高速道路80号線でイリノイ州を走っていると、カーナビが高速を降りるように指示し、ハービー市を迂回させられました。そして、また80号線に戻ったので不可解でした。なぜ、何の問題もない高速道路を降りてわざわざ迂回しなくてはいけなかったのでしょう。その理由は未だ分かりません。けれども、私たちはとにかく旅をつづけ、往復ともカーナビを信用することにしたのです。
その経験から、人生の回り道について考えました。大した問題もなく日々を過ごしているとします。ところが突然、わけも分からず馴染みのない環境に放り込まれます。それは病気かもしれません。職場や学校で異変が起こるとか、予期せぬ災難に見舞われるとかかもしれません。そんな時、神が一体何をなさっているのか、まったく不可解です。
神が「あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい」と言われたとき、アブラハムも回り道をさせられました(創12:1)。 彼は、神がなぜ、自分をネゲブ砂漠に導かれるのか理解できなかったでしょう。しかし、アブラハムは主を信頼し、きっと良い目的があるに違いないと信じました。
カーナビの指示には間違いもありますが、神は決して間違われません(詩22:4)。神は、あらゆる不思議な回り道を通じて、みこころにかなった所に私たちを到達させてくださいます。
すべてを見通される主にくっついていれば、ゆく道が見えなくても大丈夫だ。
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神の導き