娘のキャサリンが、まだ小さくて、歩いたり這ったりできなかったときのことです。あっちに行ってとか、放っておいてと主張するとき、彼女には独特の方法がありました。それは、目を閉じることです。自分が見えないなら、相手からも自分は見えないという理論らしく、車のチャイルドシートに座らされていて初対面の人に話しかけられたときや、ベビーチェアに座らされていて嫌いな食べ物が出されたとき、また、「もう寝なさい」と言われたときなどは、そんなことをしていました。
ヨナは、これよりは大人っぽい方法で隠れましたが、効果が無かったことに変わりはありません。やりたくない事をしなさいと神に命じられたとき、ヨナは逆方向に逃げたのです。しかし、神から身を隠せる場所は無いと気づくのに、それほど時間はかかりませんでした。聖書には神が人を探し出されたという話がたくさんありますが、その人たちは必ずしも、神に見つけて欲しいと思っていたわけではありません(出 2:11–3:6、 I列19:1-7、使9:1-19)。
あなたは神から隠れようとしたことがあるでしょうか。神に見られていないと思っていないでしょうか。神は、大魚の腹にいる反抗的な預言者が祈るのを見、その祈りをお聞きになったのです。神は、あなたをご覧になるし、あなたの声をお聞きになります。あなたがどこで何をしていてもです。しかし恐れてはいけません。それは大きな慰めなのです。神はいつもそばにおられ、心配してくださいます。
神の目が私たちの上に留まるかぎり、困難が周りにあることを恐れる必要はない。
トピック:
神の臨在