アメリカの南北戦争が大詰めを迎えようとしていたとき、リンカーン大統領の側近のひとりが、神が北軍に味方してくださったので感謝していると言いました。しかし、リンカーンは、次のように応じました。「私の関心は、神が我々の側につくか否かではありません。最大の問題は、私たちが神の側にいるかどうかです。神は常に正しいのですから。」

これは、神が自分の願いや計画、考え方や決定を支持してくださると思っている人たちに、気づきを促す言葉です。リンカーンの返答は、私たちに大切なことを思い出させてくれます。私たちにとっては最高の計画であったとしても、神が願っておられることに沿わないかもしれないのです。

詩篇の作者は「神よ。私を探り、私の心を知ってください。…私のうちに傷のついた道があるか、ないかを見て、私をとこしえの道に導いてください」と嘆願します(詩139:23-24)。彼は明らかに、神の側にいることを望んでいます。私たちが「神の近くにいる」(73:28)という詩篇の作者の歩みに倣うなら、私たちは確かに神の側についています。常に正しい神の道に照らして、自分の思いや行動を計れるように、聖霊が私たちを助けてくれるからです。

自問しましょう。あなたは神の側についていますか。神の側につくとは、イエスが世を愛した愛を反映させるように人と接するということです。相手を正しく扱い、えこひいきせず、赦し、平和を追い求めましょう。神の道は、常に最高です。