多くのウェブサイトには読者の感想や意見を書き込む場所がありますが、どれほど評価の高いサイトであっても、悪意ある暴言や根拠のない侮辱、失礼な投稿をする人はいるものです。
箴言は約3千年前に編さんされたものですが、その知恵は時代を超越していて、最新のニュースのようです。箴言26章にあるふたつのみことばは、一見矛盾するようですが、フェイスブックなどのソーシャルメディアに見事に当てはまります。それは「愚かな者には、その愚かさにしたがって答えるな。あなたも彼と同じようにならないためだ」(4節)と「愚かな者には、その愚かさにしたがって答えよ。そうすれば彼は、自分を知恵のある者と思わないだろう」 (5節)です。
このふたつの訓告のキーワードは「…したがって」です。私たちは愚かな人のように発言してはいけないし、愚かさを知恵だと思わせるような発言もすべきでないということです。
私の問題は、相手の愚かさが、自分の愚かさでもあることです。私は皮肉っぽいコメントを書いたり、人のコメントの揚げ足を取ったりしたことがあります。相手がどうであれ、神はそのような、人を見下す行為を嫌われます。
私たちの仕える神は、私たちに驚くほどの自由をくださり、何を、いつ、どのように言うかは、私たち次第です。一方、私たちには、神の知恵を求める自由も与えられています。
口にしたり、書いたり、投稿する前に、自分の主張が正しいか、相手を大切にしているか、発言の動機は何か、誰かの助けになるか、この発言はイエスの品性を反映しているかと考えるべきだ。
愛を最も高い目標としよう。