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Tim Gustafson

Tim Gustafson

ティム・グスタフソン氏は、「デイリーブレッド」と「Our Daily Journey」のライター、そして「探求の書シリーズ」の編集者として主に仕えています。宣教師の養子としてガーナで育ったので、欧米の生活を全く別の視点で見ることができます。ティムと妻リサとの間には、ひとりの娘と7人の息子がいます。大好きな聖書のみことばは、「みなしごの父、やもめのさばき人は 聖なる住まいにおられる神。神は孤独な者を家に住まわせ、捕らわれ人を導き出して栄えさせられる」(詩篇68:5-6)ですが、それは驚くに値しないかもしれません。

寄稿一覧 Tim Gustafson

みんなでキャンプを

私たちは西アフリカの広大な星空の下でキャンプをしました。乾季にテントは不要ですが火は極めて重要です。父は「絶対に消してはいけない」と言って、たき火の世話をしました。ヒョウやヘビに周りをうろつかれては大変です。火が野生動物を遠ざけてくれるのです。父はガーナに派遣された宣教師で、あらゆることを教育の機会に変える達人で、キャンプも例外ではありませんでした。

シェブナの墓

アイルランドの詩人イェイツは、頂上が平らな故郷の山、「ベン・ブルベンの麓」に葬られたいと願っていました。彼の最後の詩集には同名の詩が収められています。その最後の3行が墓碑に刻まれています。「冷たき眼を投げかけよ 生と死に 馬に乗った人よ、過ぎゆけ!」

万人受け

第1次世界大戦の終結後、総司令官フェルディナン・フォッシュはべルサイユ条約について「これは平和などではない。たかだか20年の停戦だ」と言いました。それは、全ての戦争を終わらせる戦争が終わった、という俗説の対極でした。その20年2カ月後、第2次世界大戦が勃発しました。彼は正しかったのです。

平和の御使い

ノラは平和的なデモに参加しました。正義を求めて抗議する人たちは、計画どおり、静かに行進しましたが、よそから2台のバスが来て扇動者たちが降り立ち、暴動が始まりました。ノラは失望して立ち去りました。彼らの善意は灰に帰したようでした。

イエスによるルネサンス

レオナルド・ダビンチはルネサンスの巨人で多大な業績を残しました。しかし日記には「私たちの惨めな時代」と記し、人は「どんな記憶も残さず」死ぬと嘆きました。また「生き方を学んでいると思う一方で、死に方を学んでいた」と述べました。本人が思う以上に真理に近かったようです。

遺すものは何か

大恐慌時代に砂嵐が甚大な被害を与えた頃、カンザス州のジョン・ミルバーン・デイビスはずいぶんな散財をしました。一代で大富豪になり、子どもはなく、地域の福祉や経済に貢献することもできましたが、亡き妻と自分の等身大の石像11体に多額の費用を費やしました。

レビ記さえも

バイブルスタディーはレビ記でした。私は正直に告白しました。ほとんど読み飛ばしたし、これ以上、皮膚病について読みたくないと。その時、友人のデーブが「その皮膚病の箇所を読んで、イエスを信じた人を知っている」と言いました。

尊厳を認める

マギーが教会に誘った女性はすごい服装で現れました。驚くには当たりません。売春婦なのですから。その人は会堂で居心地悪そうに座り、短いスカートの裾を引っ張ったり、胸の前で腕を組んだりしました。マギーは「あら寒いの? ほら私のショールを使って」と言って、彼女の意識を服装からそらしました。

没薬の意味

今日は博士たちが東の方から幼子イエスを拝しに訪れた出来事を記念する公現祭です。「われらはきたりぬ」(讃美歌第二編52番)では、「三人の博士」になっていますが、たぶんそうではなかったでしょう。三つの贈り物が聖書に記されているので、三人が一つずつ携えたように歌われているのでしょう。