一つになる
オットー・プレミンジャー監督の1960年の作品『栄光への脱出』は、第2次世界大戦後にパレスチナに入植したユダヤ人の物語で、レオン・ユーリスの小説をもとにしています。ラストシーンでは、ヨーロッパ系ユダヤ人の少女とアラブの男性の双方が殺され、その遺体が間もなくイスラエル国となる地の同じ墓に埋葬されます。この映画は議論を巻き起こしました。これは永久についえた夢、という絶望の比喩、それとも、敵意と憎悪の歴史を持つ民族が、死と生で一緒になるという希望の象徴。どちらでしょう。プレミンジャーは私たちに結論を委ねました。
森の暗室
トニー・ヴァッカロは撮影を務める通信兵には採用されませんでした。しかし、そんなことは構いません。彼は、森の中で雨のように降り注ぐ砲弾とりゅう散弾の恐怖の中で一般兵として戦いながら、その合間に撮影を続けました。夜、仲間の兵士たちが寝ている間、彼らのヘルメットを借用して写真を現像しました。深夜の森は暗室となり、ヴァッカロは第2次世界大戦の「ヒュルトゲンの森の戦い」の貴重な記録を残したのです。
みんなでキャンプを
私たちは西アフリカの広大な星空の下でキャンプをしました。乾季にテントは不要ですが火は極めて重要です。父は「絶対に消してはいけない」と言って、たき火の世話をしました。ヒョウやヘビに周りをうろつかれては大変です。火が野生動物を遠ざけてくれるのです。父はガーナに派遣された宣教師で、あらゆることを教育の機会に変える達人で、キャンプも例外ではありませんでした。
シェブナの墓
アイルランドの詩人イェイツは、頂上が平らな故郷の山、「ベン・ブルベンの麓」に葬られたいと願っていました。彼の最後の詩集には同名の詩が収められています。その最後の3行が墓碑に刻まれています。「冷たき眼を投げかけよ 生と死に 馬に乗った人よ、過ぎゆけ!」
万人受け
第1次世界大戦の終結後、総司令官フェルディナン・フォッシュはべルサイユ条約について「これは平和などではない。たかだか20年の停戦だ」と言いました。それは、全ての戦争を終わらせる戦争が終わった、という俗説の対極でした。その20年2カ月後、第2次世界大戦が勃発しました。彼は正しかったのです。
平和の御使い
ノラは平和的なデモに参加しました。正義を求めて抗議する人たちは、計画どおり、静かに行進しましたが、よそから2台のバスが来て扇動者たちが降り立ち、暴動が始まりました。ノラは失望して立ち去りました。彼らの善意は灰に帰したようでした。
イエスによるルネサンス
レオナルド・ダビンチはルネサンスの巨人で多大な業績を残しました。しかし日記には「私たちの惨めな時代」と記し、人は「どんな記憶も残さず」死ぬと嘆きました。また「生き方を学んでいると思う一方で、死に方を学んでいた」と述べました。本人が思う以上に真理に近かったようです。
遺すものは何か
大恐慌時代に砂嵐が甚大な被害を与えた頃、カンザス州のジョン・ミルバーン・デイビスはずいぶんな散財をしました。一代で大富豪になり、子どもはなく、地域の福祉や経済に貢献することもできましたが、亡き妻と自分の等身大の石像11体に多額の費用を費やしました。
レビ記さえも
バイブルスタディーはレビ記でした。私は正直に告白しました。ほとんど読み飛ばしたし、これ以上、皮膚病について読みたくないと。その時、友人のデーブが「その皮膚病の箇所を読んで、イエスを信じた人を知っている」と言いました。