医師のブライアンは、ミスは許されないという姿勢で治療にあたってきました。しかし、入院は不要と判断した患者が一日も経たずに再搬送され、翌日亡くなりました。彼は打ちのめされ、今度こそ完璧にと努めましたが、完璧は不可能と学んだだけでした。

クリスチャンなら○○するべき、というプレッシャーを感じている人がいるかもしれません。しかし、どれほど自分を作って見せたとしても、自分の思いや動機が100パーセント純粋であることはありえません。

使徒ヨハネは、「もし、罪はないと言うなら、私たちは自分を欺いており、真理は私たちのうちにありません」(Ⅰヨハ1:8)、「私たちも光の中を歩んでいるなら…御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます」(7節)と語ります。罪は隠しつつ努力で乗り越えるのではありません。神の光に照らし、素直に告白しましょう。

ブライアンは自身のミスを隠さず、また隠さない同僚を認め、共に医療ミスを減らすことを目指していこうと活動しています。

クリスチャンが自分の失敗を隠さずに、神の真実と恵みにより、愛をもって互いに支え合っていたならどうでしょう。健全な正直にはリスクが伴いますが、クリスチャンの間でも、また私たちを見ている世の人に対しても、それを実践したならどうなるでしょう。