何年も前、私たち夫婦は、ワシントン州のレーニア山に登ってキャンプをしました。ある日、夕暮れ時にテントに戻る途中、草の生えた平地で大きな雄熊二頭が殴り合っているのを見つけ、立ち止まって眺めました。近くにいた登山者に喧嘩の理由を尋ねると、「若い雌ですよ」という返事でした。

「それで雌はどこにいるのですか」と尋ねると、くすっと笑って「20分程前にどこかに行きました」とのことでした。つまり、その時点で二頭は雌の熊ではなく、どちらが強いのかを競って争っていたのです。

世の中の争いのほとんどは、主義主張や正しいか間違っているかではなく、プライドを守るための戦いです。箴言の賢者はこの根本的な問題を、「高ぶりは、ただ争いを生じ…」と一刀両断にさばいています(箴13:10)。口げんかの炎に虚栄の油を注ぐ、すなわち自分が正しいと言い張ったり、自分のやり方を何としても通そうとしたり、自分のエゴに固執するなら、争いの火は燃え盛っていきます。

一方で、知恵は教えを尊ぶ人に宿ります。それは、耳を傾け、学び、導きを受け入れる人です。へりくだる人、利己的な野心を捨て、自らの理解力の限界を認め、相手の見解に耳を傾け、自分の意見に固執しない人です。それが平和を広めていく神の知恵です。