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David H. Roper

David H. Roper

デービッド・ローパー氏は、30年余りの牧会経験の持ち主で、今はアイダホ・マウンテン・ミニストリーズの代表者です。これは、牧師夫婦を励ますために開かれたリトリート・センターです。ローパー氏は、妻キャロリンと川辺で過ごすことと釣りが趣味だといいます。

寄稿一覧 David H. Roper

順番を待って

桜の古木が枯れそうなので樹木医を呼んだところ、すぐ手当てが必要だと言われました。妻は木に向かって「順番を待ってね」とつぶやきました。最近、厄介な事ばかり起こっているからです。

被造物の世話をする

オワイヒー川では毎年、秋になると、ビッグブラウンと呼ばれる褐色マスが産卵のために巣作りを始めます。魚は砂利の多い浅瀬を掘って巣を作るのです。

神を見ること

神の絵を描いているという少年がテレビ番組に登場したときのことを、牧師で作家でもあるアーウィン・ラッツァーが語っています。司会者が「神の姿を誰も知らないのだから、神の絵なんて描けない」と言うと、少年は「全部終わったら、きっと分かるよ」と宣言しました。

心を配る

ジョン・ニュートンは次のように書きました。「もし帰宅の途中、半ペニーを落とした子がいて、私が弁償してあげることでその子の涙を拭えたのなら、私は自分が何かを成したと思います。もっと大きなことをして喜ぶことも重要でしょうが、このことも軽んじはしません。」

あなたはオリジナル

人は皆、神の御手によって造られました。自力で自分を造った人はいません。体格、頭脳、センスの良さを自力で造った人はいません。神が言葉に尽くせない愛を込めて一人ひとりを造られました。

父なる神の御顔

父は優しい人でしたが、愛情を顔に表さない人でした。子どもの頃、父の顔を見つめて、笑顔を探そうとしたものです。顔はその人を表します。しかめっ面、仏頂面、笑顔、目尻の皺などは、無言で本当の気持ちを語ります。

赦された!

友人のノム・クックは時々、仕事から帰るや否や「君たちは赦された!」と玄関で叫んで家族を驚かせます。誰かが彼に悪いことをしたのではありません。今日も何か罪を犯しただろうけれど、それは神のあわれみによって赦された、そのことを家族で確認しようという訳です。

空の雲を考えてみよう

聖書のみことば:ヨブ記 37:1-16

あなたは濃い雲のつり合いを知っているか。—ヨブ37:16

ずいぶん昔のことですが、息子たちと一緒に庭に寝そべって、雲の流れるのを見つめていたことがありました。「お父さん、どうして雲は浮いているの」と、ひとりが尋ねました。私は、「それはね…」と教養のあるところを見せようと思ったのですが、口ごもってしまいました。そして、「分からないなあ」と知らないことを認め、「でも、調べてあげるよ」と付け加えました。

調べて分かったことは、こうです。凝結した水蒸気が地球の引力で下降すると、地上から昇る温かい空気にぶつかります。そして、再び霧状の水蒸気となり、上昇するのです。これが、この自然現象の説明です。

しかし、自然現象の説明は、究極の答えではありません。雲が浮くのは、神が、その英知によって自然を司る法則をつくり、「完全な知識を持つ方の不思議なみわざ」(ヨブ37:16)を示されたからです。ですから、雲はひとつの象徴、すなわち、神が恵みとまことをもって天地を創造されたということを表すしるしなのです。

いつか、「あの雲は何に見えるだろう」などと思いながら、のんびり雲を見ることがあったら、思い出してください。万物を美しく造られたお方が、上空に雲を浮かばせておられることを。また、その理由は、私たちに驚き敬う心を呼び起こさせるためであることを。大空は、積雲や層雲、巻雲さえも、神の栄光を宣言しています。

つくられた物は、つくられたお方を指し示すしるしに満ちている。

鮭の旅

聖書のみことば:マタイ11:25-30

すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。—マタイ11:28

鮭はすごい、と思います。毎年8月になると、私は鮭の遡上(そじょう)を見物しに出かけます。数ヶ月前、鮭は太平洋を後にしてコロンビア川に入りました。上流へ泳ぎつづけてスネーク川に入り、サーモン川の本流、そして支流のイースト・フォークを経てスセッシュ川、それからクリーク湖へと登って来ます。合計1千キロ以上の長旅です。産卵のためにクリーク湖の砂州に入るころには、鮭はへとへとです。

鮭は本能に動かされて川の流れに逆らい、滝を登り、水力発電のダムの縁を泳いで上がって行きます。鷲や熊、その他多くの天敵がいるにもかかわらず、自分が生まれたところに必死にたどり着き、卵を産みます。

「ふるさとに帰ろう」という鮭のような本能は、私たちにもあります。「人の心の中に、まさしく本能によって、神意識は存在する」とジョン・カルバンは言いました。人が生を受け生きていくのは、神を知り、神を愛する、という特別な目的のためです。神がいのちの源なのです。ですから、神のところに帰るまで、人の心は落ち着きません。

人生にはもっと何かがある、と求めつづけても、結局、心満たされる何かを見つけられず、落ち着かない人はいませんか。イエス・キリストが、あなたの求めるすべてを満たす泉です。イエスのもとへ返り、たましいの安らぎを見つけましょう(マタ11 : 28)。

キリストに安らぎを見つけるまで、人の心は落ち着かない。