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David H. Roper

David H. Roper

デービッド・ローパー氏は、30年余りの牧会経験の持ち主で、今はアイダホ・マウンテン・ミニストリーズの代表者です。これは、牧師夫婦を励ますために開かれたリトリート・センターです。ローパー氏は、妻キャロリンと川辺で過ごすことと釣りが趣味だといいます。

寄稿一覧 David H. Roper

孫のサラは幼い頃、人は死んだら身体を残して顔だけが天国に行き、そこで新しい身体を頂くのだと言っていました。もちろん、私たちの永遠に関するサラの見解は幼稚ですが、彼女は根本的な真理をつかんでいます。つまり、私たちの顔はある意味で、私たちのたましいを映し出す鏡だということです。

神は信頼できるお方

聖書のみことば:詩篇84

万軍の主よ。なんと幸いなことでしょう。あなたに信頼するその人は。—詩篇84:12

窓辺にある椅子に腰掛け、木立の向こうの山をぼんやり眺めていました。ふと気づくと、一匹のキツネが私を見上げています。まるで置物のように、じっとしています。

数日前、そのキツネを 木々が茂る庭先で見かけました。振り返って見つめる目は、不安げでした。私は台所へ行き卵を取ってくると、キツネのいた場所にそれを転がしました。それから毎日、庭の芝生の上に卵を置くと、キツネはゆっくり用心深く近づき、それをくわえると走り去っていきました。しかし今では、戸口まで卵を取りに来ます。たぶん、私を信用するようになったのでしょう。

私の妻は、これはダビデの「主のすばらしさを味わい、これを見つめよ」(詩34:8)という勧めのようだ、と言います。どうすれば、こうできるのでしょう。神のみことばを受け取ることが出発点です。聖書を読んで、神の情け深さと愛を味わえば、このお方は信頼できるとわかってきます(84:12)。恐ろしくて近づけない、ということはなくなります。神に対する恐怖心は、健全な畏敬の念に変えられるでしょう。

キツネが最初は用心深かったように、あなたも今は神を信じ切れない、と感じているかもしれません。しかし、神に賭けてみませんか。必ず「あなたを愛 している」という事実が証明されます。福音書に記されたイエスの生涯を読みましょう。詩篇に記された賛美の歌を読みましょう。神の素晴らしさを、味見してみましょう。

神の愛が届かない人など、ひとりもいない。

神の約束を信じる

友だちは子どものころ「信じて」飛び降りるなら、傘が彼女を支えてくれると兄に言われ、「信仰をもって」納屋の屋根から飛び降りたところ、気絶して軽い脳しんとうを起こしたそうです。

待つ所

多くの児童書の作家であるドクター・スースは「魚が餌にかかるのを待ち、凧を上げる風を待ち、金曜日の夜を待ち…みんないつも待っている」と語ります。人生は待つことだらけですが、神は決して急いでいません。昔の人は「時も遅れも神のもの」と語りました。そういう訳で、私たちは待っています。

遺産を遺す

息子たちと人里離れたアイダホ州の牧場で過ごしたことがあります。サーモン川の近くです。散策していると墓がありましたが、木の墓標に書かれた文字は、ずいぶん前に消えてしまったようでした。この地で生まれ死んでいったその人は、今は忘れられています。私は悲しくなり、その辺りの歴史を調べましたが、あの墓に葬られた人を見つけることはできませんでした。

あらわにされる

少年時代、父が畑を開墾しているのを見ました。まず、鋤がかき出した大きな岩を運び出し、その後、何度も何度も鋤で土をかきます。すると前より小さな石が表に出て来るので、それを捨てます。この工程を何度も繰り返し、畑を作っていくのです。

復活といのち

わたしは、よみがえりです。いのちです。—ヨハネ11:25

イエスは「わたしは、よみがえりです。いのちです」と言われました(ヨハ11:25)。大胆な発言をしても、それを裏づけする行動がなければ何にもなりません。イエスは、実際に死からよみがえられて、ご自分の発言が真理であることを証明されました。

ジョージ・マクドナルドは「もし、神の子が死んでよみがえったと信じるなら、あなたの将来は、人生という丘の向こうから永遠に沈まない太陽が昇る夜明けのようだ。そのような希望は、最高の想像力に恵まれた詩人の心にさえ思い浮かばない」と書いています。

神の御子は、死んでよみがえられました。イエスの復活は、神が私たちをも死からよみがえらせてくださることの保証です。私たちは、考えたり、感じたり、記憶したり、理解したりする存在として永遠に生きるのです。

永遠に生きるとは、神が与えてくださった、永遠を思う心で今を生きるということです。また、死に別れた信仰の友と再会することであり、悲しみのない世界に住むことであり、すべてを捨てて私たちと永遠にひとつになってくださったイエスにお会いすることです。

もうひとつ言えることがあります。それは、今の人生だけでなく、次の人生もあるのですから、今が完全である必要はありません。しばらくは、完全に健康とは言えなくても大丈夫ですし、困難、孤独、貧困、心痛にも耐えていけます。なぜなら、よみがえりのいのちがあるからです。それは、天の御国で永遠に生きるいのちです。 David Roper

復活が私たちの信仰の基だ。

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寛大さを示す

友人のアーチィが休暇から戻ると、隣の家の人が庭に柵を立てていました。その柵はアーチィの庭に入り込んでいたので移動するよう交渉しました。しかし交渉は難航し、費用の半分を出すと提案しても、聞き入れてくれません。アーチィは隣人を訴えることもできましたが、結局、甘んじて受け入れました。神の寛大さを示すためです。アーチィは弱虫ではありません。強い人ですが、主にあって寛大であることを選んだのです。

復活といのち

聖書のみことば:Ⅰコリント15:1-11

わたしは、よみがえりです。いのちです。—ヨハネ11:25

イエスは「わたしは、よみがえりです。いのちです」と言われました(ヨハ11:25)。大胆な発言をしても、それを裏づけする行動がなければ何にもなりません。イエスは、実際に死からよみがえられて、ご自分の発言が真理であることを証明されました。

ジョージ・マクドナルドは「もし、神の子が死んでよみがえったと信じるなら、あなたの将来は、人生という丘の向こうから永遠に沈まない太陽が昇る夜明けのようだ。そのような希望は、最高の想像力に恵まれた詩人の心にさえ思い浮かばない」と書いています。

神の御子は、死んでよみがえられました。イエスの復活は、神が私たちをも死からよみがえらせてくださることの保証です。私たちは、考えたり、感じたり、記憶したり、理解したりする存在として永遠に生きるのです。

永遠に生きるとは、神が与えてくださった、永遠を思う心で今を生きるということです。また、死に別れた信仰の友と再会することであり、悲しみのない世界に住むことであり、すべてを捨てて私たちと永遠にひとつになってくださったイエスにお会いすることです。

もうひとつ言えることがあります。それは、今の人生だけでなく、次の人生もあるのですから、今が完全である必要はありません。しばらくは、完全に健康とは言えなくても大丈夫ですし、困難、孤独、貧困、心痛にも耐えていけます。なぜなら、よみがえりのいのちがあるからです。それは、天の御国で永遠に生きるいのちです。

復活が私たちの信仰の基だ。