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David H. Roper

David H. Roper

デービッド・ローパー氏は、30年余りの牧会経験の持ち主で、今はアイダホ・マウンテン・ミニストリーズの代表者です。これは、牧師夫婦を励ますために開かれたリトリート・センターです。ローパー氏は、妻キャロリンと川辺で過ごすことと釣りが趣味だといいます。

寄稿一覧 David H. Roper

父と子

私の父は良い父親で、私も大方のところ素直な息子でした。しかし、父に心を見せていたとは思いません。父は無口な人で、私もそうでした。私たちはよく並んで何時間もともに働きましたが、会話はほとんどありませんでした。父は何も尋ねず、私も自分の希望や夢、不安や恐れを明かすことはありませんでした。

以前より良い人に

スコットランドの宿屋で、釣り人たちが、夜、談笑していたところ、サケを仕留めた話をしている人の腕がテーブルに当たり、コップが壁に向って倒れました。白いしっくいの壁に、くっきりとシミがついています。その人は宿屋の主人に謝罪して、修理代を払うと言いましたが、壁からシミは取れません。ところが、そばにいた人が「大丈夫だ」と言って立ち上がり、絵の道具をポケットから取り出すと、汚いシミの周りに絵を描き始めました。するとどうでしょう。徐々に、雄大なシカの頭が現れました。何と、その男性はスコットランドきっての動物画家、エドウィン・ランドシーアだったのです。

永遠の幸福

やりたいようにやるという生き方で幸福になれると聞きますが、それは間違いです。その考え方は、虚しさや不安、苦悩を生むだけです。詩人のW.H.オーデンは、快楽の中に逃げ場を探す人々を観察し、「お化けの森に迷ってしまった、夜を怖がる子ども、決して幸せにも善良にもなれない」と書いています。

私のような罪人

友だちのイーディスは、宗教に無頓着でしたが、ある日曜日の朝、満たされない心を何とかしたいと近所の教会に出かけました。礼拝メッセージはルカの福音書15章からで、牧師が「さて、取税人、罪人たちがみな、イエスの話を聞こうとして、みもとに近寄って来た。すると、パリサイ人、律法学者たちは、つぶやいてこう言った。『この人は、罪人たちを受け入れて、食事までいっしょにする』」(1-2節)と欽定訳聖書で朗読しました。これが「罪人たちとイーディスを受け入れて…」と聞こえたので、彼女はびっくりしました。欽定訳の古い英語の「食事をする」と、彼女の名前の発音が似ていたからです。

あなたの夢は何ですか?

銀行の窓口係が高級車のシェルビー・コブラ・ロードスターの写真をデスクに貼っていました。それで「これはあなたの車ですか」と尋ねると「いいえ。これは私の夢です。この夢を叶えるために毎朝起きて仕事に来ます。いつの日か、この車を手に入れるつもりです」と言いました。

孫のサラは幼い頃、人は死んだら身体を残して顔だけが天国に行き、そこで新しい身体を頂くのだと言っていました。もちろん、私たちの永遠に関するサラの見解は幼稚ですが、彼女は根本的な真理をつかんでいます。つまり、私たちの顔はある意味で、私たちのたましいを映し出す鏡だということです。

神は信頼できるお方

聖書のみことば:詩篇84

万軍の主よ。なんと幸いなことでしょう。あなたに信頼するその人は。—詩篇84:12

窓辺にある椅子に腰掛け、木立の向こうの山をぼんやり眺めていました。ふと気づくと、一匹のキツネが私を見上げています。まるで置物のように、じっとしています。

数日前、そのキツネを 木々が茂る庭先で見かけました。振り返って見つめる目は、不安げでした。私は台所へ行き卵を取ってくると、キツネのいた場所にそれを転がしました。それから毎日、庭の芝生の上に卵を置くと、キツネはゆっくり用心深く近づき、それをくわえると走り去っていきました。しかし今では、戸口まで卵を取りに来ます。たぶん、私を信用するようになったのでしょう。

私の妻は、これはダビデの「主のすばらしさを味わい、これを見つめよ」(詩34:8)という勧めのようだ、と言います。どうすれば、こうできるのでしょう。神のみことばを受け取ることが出発点です。聖書を読んで、神の情け深さと愛を味わえば、このお方は信頼できるとわかってきます(84:12)。恐ろしくて近づけない、ということはなくなります。神に対する恐怖心は、健全な畏敬の念に変えられるでしょう。

キツネが最初は用心深かったように、あなたも今は神を信じ切れない、と感じているかもしれません。しかし、神に賭けてみませんか。必ず「あなたを愛 している」という事実が証明されます。福音書に記されたイエスの生涯を読みましょう。詩篇に記された賛美の歌を読みましょう。神の素晴らしさを、味見してみましょう。

神の愛が届かない人など、ひとりもいない。

神の約束を信じる

友だちは子どものころ「信じて」飛び降りるなら、傘が彼女を支えてくれると兄に言われ、「信仰をもって」納屋の屋根から飛び降りたところ、気絶して軽い脳しんとうを起こしたそうです。

待つ所

多くの児童書の作家であるドクター・スースは「魚が餌にかかるのを待ち、凧を上げる風を待ち、金曜日の夜を待ち…みんないつも待っている」と語ります。人生は待つことだらけですが、神は決して急いでいません。昔の人は「時も遅れも神のもの」と語りました。そういう訳で、私たちは待っています。