私たちの住む地方は冬の寒さが厳しいので、天候について色々思います。3月になったのにまだ雪が降ると、ほとんどの人はもううんざりだと思い、低温続きの天気予報にがっかりします。しかしながら、雪の神秘的な美しさには、やはり感動させられます。来る日も来る日も雪かきをして、自分の背丈ほどの雪の壁が家の前にできましたが、この「白いもの」にはやはり魅了されます。ある日、氷の結晶が積もった雪の上に落ちてきました。私たち夫婦はその中を散歩していましたが、まるでダイヤモンド・ダストが降っているようでした。

聖書を読むと、雪には様々な目的があるように感じます。創造主たる神の偉大さを示すために、雪が用いられています(ヨブ37:6、38:22-23)。雪を頂く山々は、ふもとの乾燥した谷を潤しました。そして、さらに重要なことに、罪の赦しの比喩として雪が用いられています。イエスの福音は、私たちの罪やけがれを「雪よりも白く」することができます(詩51:7、イザ1:18)。

今度、雪を見るときは(本物であっても、写真であっても)、この美しい自然の贈り物が神を信じるすべての人に連想させてくれるもの、すなわち、神の赦しに感謝しましょう。受けるべき罰から救ってくださったことを、神に感謝しましょう。