人は名声に弱いものです。有名になりたいと思う人や有名人の何もかもを知りたいと思う人などがいます。本や映画、テレビやラジオ、ツイッターのフォローなどを見れば明らかです。最近、アメリカの研究者が、インターネットで検索された人の名前を人工知能を使って分析し、古今東西の有名人ランキングを発表しました。すると、第一位になったのはイエス・キリストでした。

イエスは、名士と呼ばれることに全く興味がなかったのに(マタ9:30、ヨハ6:15)、その一挙手一投足が即座に話題となり、ガリラヤ地方一帯に広まりました。イエスが行く所には、人が群がりました。イエスの奇跡は、人を引きつけました。しかし、無理やり王にされそうになると、彼らの間をすり抜けていかれました(ヨハ6:15)。イエスは、天の御父のみこころとひとつになり、御父のご計画と御父のタイミングに、何度もご自分を委ねられました(4:34、8:29、12:23)。「自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われました」(ピリ2:8)。

イエスの目的は、有名になることではありませんでした。それは単純、すなわち、神の御子なのに自ら進んで卑しくなられ、神に従い、私たちの罪を贖う犠牲のいけにえとして、ご自分のいのちをささげることでした。