アメリカのテレビコマーシャルに、玄関のベルが鳴り、出てみると巨額の小切手を渡されるというものがあります。受取人は驚いて、叫んだり、飛び跳ねたり、小躍りしたり、誰かれとなく抱きついたりします。「やったぁ、大金持ちだ!ああ、信じられない。これでみんな解決だ!」一攫千金で爆発する感情は、すさまじいものです。
聖書中で一番長い章は詩篇119篇ですが、ここには、「私は、あなたのさとしの道を、どんな宝よりも、楽しんでいます」(14節)という驚くような言葉があります。生活の中で神の指示に従うことは、大金をもらうこと以上に嬉しいと言っているのです。そして、 「私は、あなたのおきてを喜びとし、あなたのことばを忘れません」(16節)と再度、この考えを繰り返し、神の命令に対する感謝と喜びを表しています。
しかし、もし神の命令に従うのは、大金をもらうほどに嬉しいと言えなかったらどうすれば良いでしょう。その時は、感謝しましょう。感謝は生き方であり、選択です。私たちは自分が価値を認めるものを大事にしますから、まずは、自らのたましいを養う神の贈物を感謝しましょう。そして、みことばが神の知恵や知識、平安の宝庫だと分かるように、この目を開いてくださいと祈りましょう。
イエスを愛する愛が日増しに大きくなるなら、私たちは本当に豊かになれるでしょう。
父よ。神の律法の内にある素晴らしいものが見えるように、 この目を開いてください。あなたの命令は賢い助言ですから、 私は感謝いたします。
神の真理は豊かな宝。聖書の中にあり、 見いだされるのを待っている。