夜中に160キロメートル離れた自分の村に帰ろうとしていました。神はそんな私を見ておられたでしょうか。その時の気持ちは複雑でした。私は高熱と頭痛で「主よ、あなたはここにおられるのでしょうが、とにかく私は痛いのです」と祈っていました。精根尽き果てて小さな集落の近くで車を止めました。少しすると「どうかしましたか?」と親切な人が声をかけてくれました。
その集落の名前はナーミニャラだと聞いて驚きました。それは「神は私を知っておられる」という意味だからです。私はその道を何度か通っていましたが、地名は知りませんでした。神は急病で苦しむ私を村の名前を使って励ましてくださいました。私は力を振り絞って近くの診療所に向かいました。
私たちは日々、仕事や雑用をこなしていますが、神はその一つひとつを、場所や時間、状況や状態にかかわらず、すべてをご存じです(詩139:1-4、7-12)。私たちを見捨てたり、忘れたり、忙しいといって無視されたりなさいません。私たちが「夜」や「やみ」(11-12節)と形容される困難な状況にある時でさえ、神の臨在が失われることはありません。この真実は希望と安心を与えます。神は、私たちを入念に創り、私たちの人生を導いてくださいます。私たちはこの神を賛美します。
主よ、感謝します。私がどこで何をしていても、あなたはいつもご存じです。私の外も内もご存じです。私を大切にしてくださると信じられるので感謝です。
私たちがどこにいても、神は私たちをご存じだ。