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Lawrence Darmani

Lawrence Darmani

ローレンス・ダーマニ氏は、 ガーナ人作家です。 彼の処女作 「悲しみの子」は、 英連邦作家賞アフリカ部門にて新人賞を受賞しました。 ダーマニ氏は家族とともにガーナ ・ アクラに住んでおり、 Step Publishers の代表および編集者です。

寄稿一覧 Lawrence Darmani

黙々と前進する

職場の近くで塀際の道のコンクリートの割れ目に植物が育っていると気づきました。悪条件にも関わらず、乾いた割れ目に根を張って、花を咲かせたのです。ふと見ると、真上にはエアコンの室外機があって水滴が落ちていました。厳しい環境下でも上からの水という助けを得ていました。

村のクリスマス

恵みの賜物:神が新しい人生をくださる

「わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。」—ヨハネ10:10

子供の頃の一番古いクリスマスの思い出は、カカオ農場と見上げるようなマホガニーや椰子の木々に囲まれて点在する小さな村々の記憶に遡ります。小学生くらいの子供たちは、両親がクリスマスに着せてくれた新しい服を着て、幼子イエスを探し求める東方の三博士のように、村から村へと歩き回りました(マタ2:1-2)。

みどりごイエスは、そこにはおられませんでしたが、村には親しみと善意が溢れていました。クリスマスの午後になると、母親たちが用意したご馳走の入った器を子供らが隣人に届けました。その村では、クリスマスとは、博愛の時を意味しました。

しかし、真のクリスマスの物語が欠けていたのです。楽しさや喜びが先行して、クリスマスの意味を考えもしませんでした。村に教会はなく、神が「実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された」(ヨハ3:16)というクリスマスのメッセージを伝えてくれる人もいませんでした。当事者抜きの誕生会を祝っていたようなものです。

それとは違って博士らは、「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか。私たちは、東のほうでその方の星を見たので、拝みにまいりました。」(マタ2:2)とイエスを何よりも探し求めました。そして遂に辿り着くと、「幼子を見、ひれ伏して拝んだ。そして、宝の箱をあけて…贈り物としてささげ」(11節)ました。最初に主を見つけ、拝んでから、贈り物をしたのです。

子供にとっても、大人にとっても、真実はひとつです。お祭り以上に、キリストこそがクリスマスの真意です。神の御子は、私たちが「いのちを得、またそれを豊かに持つため」(ヨハ10:10)にいらしたからです。 LAWRENCE DARMANI

イエスこそクリスマスを祝う理由である。


聖書のみことば:マタイ2:1-11

1イエスが、ヘロデ王の時代に、ユダヤのベツレヘムでお生まれになったとき、見よ、東方の博士たちがエルサレムにやって来て、こう言った。2「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか。私たちは、東のほうでその方の星を見たので、拝みにまいりました。3それを聞いて、ヘロデ王は恐れ惑った。エルサレム中の人も王と同様であった。4そこで、王は、民の祭司長たち、学者たちをみな集めて、キリストはどこで生まれるのかと問いただした。5彼らは王に言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者によってこう書かれているからです。6『ユダの地、ベツレヘム。あなたはユダを治める者たちの中で、決して一番小さくはない。わたしの民イスラエルを治める支配者が、あなたから出るのだから。』」7そこで、ヘロデはひそかに博士たちを呼んで、彼らから星の出現の時間を突き止めた。8そして、こう言って彼らをベツレヘムに送った。「行って幼子のことを詳しく調べ、わかったら知らせてもらいたい。私も行って拝むから。」9彼らは王の言ったことを聞いて出かけた。すると、見よ、東方で見た星が彼らを先導し、ついに幼子のおられる所まで進んで行き、その上にとどまった。10その星を見て、彼らはこの上もなく喜んだ。11そしてその家にはいって、母マリヤとともにおられる幼子を見、ひれ伏して拝んだ。そして、宝の箱をあけて、黄金、乳香、没薬を贈り物としてささげた。

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村のクリスマス

聖書のみことば:マタイ2:1-11

わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。—ヨハネ10:10

子供の頃の一番古いクリスマスの思い出は、カカオ農場と見上げるようなマホガニーや椰子の木々に囲まれて点在する小さな村々の記憶に遡ります。小学生くらいの子供たちは、両親がクリスマスに着せてくれた新しい服を着て、幼子イエスを探し求める東方の博士のように、村から村へと歩き回りました(マタ2:1-2)。

みどりごイエスは、そこにはおられませんでしたが、村には親しみと善意が溢れていました。クリスマスの午後になると、母親たちが用意したご馳走の入った器を子供らが隣人に届けました。その村では、クリスマスとは、博愛の時を意味しました。

しかし、真のクリスマスの物語が欠けていたのです。楽しさやうれしさが先行して、クリスマスの意味を考えもしませんでした。村に教会はなく、神が「実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された」(ヨハ3:16)というクリスマスのメッセージを伝えてくれる人もいませんでした。当事者抜きの誕生会を祝っていたようなものです。

それとは違って博士らは、「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか。私たちは、東のほうでその方の星を見たので、拝みにまいりました。」(マタ2:2)とイエスを何よりも探し求めました。そして遂に辿り着くと、「幼子を見、ひれ伏して拝んだ。そして、宝の箱をあけて…贈り物としてささげ」(11節)ました。最初に主を見つけ、拝んでから、贈り物をしたのです。

子供にとっても、大人にとっても、真実はひとつです。お祭り以上に、キリストこそがクリスマスの真意です。神の御子は、私たちが「いのちを得、またそれを豊かに持つため」(ヨハ10:10)にいらしたからです。

イエスこそクリスマスを祝う理由である。

天国の名簿

聖書のみことば:ルカ10:17-24

あなたがたの名が天に書きしるされていることを喜びなさい。—ルカ10:20

ケニア航空のチェックインカウンターでパスポートを差し出すと、私の名前は乗客名簿に無いと言われました。予約再確認をしなかったからです。その日、帰宅する望みは露と消えました。

ここから連想するのは、もうひとつの名簿、すなわち「いのちの書」です。イエスは弟子たちを伝道旅行に送り出しました。彼らはその成功を喜びつつ戻ってきましたが、主は「悪霊どもがあなたがたに服従するからといって、喜んではなりません。ただあなたがたの名が天に書きしるされていることを喜びなさい」と言われました(ルカ10:20)。私たちも成功だけでなく、自分の名前がそこにあるか否かを気にするべきです。それは確実でしょうか。その答えは、「もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです」(ロマ10:9)というみことばの中にあります。

ヨハネの黙示録21章には、神を信じる人々を待つ輝かしい聖なる都が描かれています。しかし、「すべて汚れた者や、憎むべきことと偽りとを行う者は、決して都に入れない。小羊のいのちの書に名が書いてある者だけが、入ることができる」とも語ります(27節)。

「いのちの書」は天国の名簿です。あなたの名前はありますか。

神は、心を神に向けて開く人に向かって、天の門を開いてくださる。

神に近づく

ある女性が祈ろうとしていました。彼女は椅子を持って来て、その前にひざまずき、涙ながらに「親愛なる天の父よ、ここに座ってください。お話があります」と言いました。そして、誰もいない椅子を見つめながら一心に祈りました。彼女が神を信頼し、そこに座って彼女の訴えに耳を傾けておられるお姿を思い浮かべながら、心から祈っていることは明白でした。

伝えずにはいられない

裁判の証人は傍聴人とは違います。彼らは判決を左右する裁判の積極的な参加者です。同じことがキリストの証人にも言えます。私たちは、イエスの死と復活という絶対的に重要な真実に関する積極的に証言する参加者であるべきです。

どんなに辛くても

自宅のある地域が頻繁に停電するので困ります。週に3回もあったり、丸一日復旧せず、辺りが真っ暗だったりすることもあります。家電製品が使えないのも非常に不便です。

あなたの荷を下ろしてください

田舎で軽トラックを運転していた人が、重い荷物を背負った女性を見かけました。車を止めて乗っていくよう勧めると、彼女は感謝して荷台に乗り込みました。ところが奇妙なことに、女性は車に乗ってもまだ、重い荷物を背負っているのです。運転手は言いました。「お願いですから、荷物を下ろして、ゆっくりしてください。このトラックは、あなたも、あなたの荷物も運べます。」

別の側面

聖会の主題は「私の民を慰めよ」で、各講師は安心を保証するメッセージを語りました。しかし、最後に奉仕した講師は、「目を覚ませ」と題して、まったく語調の違うメッセージを語りました。優しい態度ながらも言葉を濁さず、エレミヤ書7章1~11節から、目を覚まして罪を離れなさいと語ったのです。彼は、「私たちは、自分は神に愛されている。だから悪を恐れないと言いながら、様々な悪を行います…神の恵みに隠れて密かに罪を続けてはいけません」と、預言者エレミヤのように忠告しました。