完成をズルズル引き伸ばす癖のある私に、大学の恩師が「完璧を『良し』の敵にしてはいけない」と忠告してくれました。完璧を求める余り失敗を恐れ、成長に必要なリスクさえ回避しがちになるのは賢明ではありません。自分の作品には常に改善点があることを受け入れるなら、成長しつづける自由を手にします。

使徒パウロは、自分の力で完璧を目指すなら、キリストの必要性に盲目になると語ります。パウロは長年、神の律法を完璧に守ろうとしましたが成しえず、イエスと出会って変わりました(ガラ1:11-17)。人の努力だけで神の前に義で全人的でいられるなら、キリストが死ぬ必要はありません(2:21)。彼は己に死ぬことで、キリストが心の内に生きられることを知りました(20節)。自分の不完全さの中に神の完璧な力を体験しました。罪と戦わなくてよいということではありません(17節)。自分の力で良い人になるのではなく、神に変えていただくのです(20節)。

人生は常に発展途上です。謙遜になって、唯一の完璧なお方の必要性を認めるなら、イエスはその人の心に住まれます(エペ3:17)。イエスに根を下ろすなら、人知をはるかに超えた愛の中で(19節)、より深みのある人に成長することができます。