芝生に倒れている巨木に比べて、そばに立っていた人たちは小人のようでした。杖をついた高齢の女性が、前夜の嵐がこの堂々としたニレの木を吹き倒したと言いました。唇をわなわな震わせ「美しい石の壁も壊れてしまったわ。結婚した時に主人が造った壁よ。ふたりして大好きだったのに。なくなってしまったわ。彼が逝ってしまったように」と嘆きました。
しかし翌朝、倒れた木の撤去作業をのぞき見て、彼女はにっこりしました。枝の向こうに見えたのは、庭の芝刈りをしてくれる少年が、ふたりの大人といっしょに、あの壁を修繕しようと測量している姿だったからです。
人を元気づける親切な行動は神に喜ばれると、預言者イザヤが語っています。聖書の神は、形式的な宗教行為よりも、自分のことを脇に置いて人に仕える行為をより高く評価されます。今日の聖書のみことばは、そう教えています。このような働きは、神から二重に祝福されます。まず、弱い立場の人が助けられるという祝福があります(イザ58:7-10)。次に、神が弱い立場の人を助ける奉仕者を高く評価されるという祝福です。その人は神の御国で誉れある名で呼ばれると聖書は語ります(11-12節)。さて、あなたは今日、何をしますか。
父よ、あなたは人の情けや親切な行いを用いて、私に元気をくださいます。そして、同じようにしなさいと、私に呼び掛けてくださいます。そのことに感謝します。
自分のことを脇に置いて人に仕える親切は、神に栄光を帰す。