数十年前、蒸し暑い熱帯林の中で戦っていた米軍兵士たちは問題に遭遇しました。トゲだらけのつる草が一面に生えていて、突然、身体や装備にくっつき、前進を阻みます。振りほどこうともがくと、ますます多くの触毛に捕らわれます。兵士たちは、その植物を「ちょっと待て草」と呼びました。絡まると進めなくなって、「おい、ちょっと待て。動けない」と仲間に叫ばざるを得なかったからです。

同じように、信仰者が罪に捕らえられるなら、前進できません。ヘブル人への手紙は「いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて…忍耐をもって走り続けよう」(12:1)と勧めています。では、どうすれば、からみつく罪を捨てられるのでしょう。

私たちを己の人生にはびこる罪から解放できるのは、イエスだけです。このお方から目を離してはいけません(12:2)。神の御子は、すべての点で人と同じようになられたので、誘惑されましたが、罪は犯されませんでした(2:17-18、4:15)。自分だけならば、己の罪に引っかかって、どうにもならなくなりますが、神のみこころは、私たちが誘惑に勝つことです。私たちは自力ではなく、神の御力によって、まつわりつく罪を捨てて神の義を追い求めつづけます(Ⅰコリ10:13)。