作曲家ヴェルディ(1813-1901)は若い頃、認められたい一心で頑張りました。ウォーレン・ワーズビーの記述によれば、処女作のオペラがフィレンツェで演じられたとき、彼は物陰から客のひとりを注視していました。ヴェルディにとって聴衆の反応は大したことではありません。切なる願いは、この男性、巨匠ロッシーニの顔に承認の笑みが浮かぶことでした。
あなたは誰に認められたいですか。パウロの答えは明白でした。彼は「私たちは神に認められて福音をゆだねられた者ですから、それにふさわしく、人を喜ばせようとしてではなく、私たちの心をお調べになる神を喜ばせようとして」いると語りました(Ⅰテサ2:4)。
では、どうすれば神に認められるのでしょう。最低、ふたつのことが言えます。ひとつは、人に認められたい気持ちを捨てること、もうひとつは、聖霊の導きに従って、あなたのためにいのちを捨てられたお方キリストに似た者になることです。あなたの人生に立てられた神のご計画、また、あなたを通して神が実現したいと願われているご計画、そのご計画に身をゆだねるとき、あなたは神の承認の笑顔を見るでしょう。それが何より大切なことです。
あなたは誰に認められたいと願い、それがなぜ重要なのでしょう。神の承認が誰の承認より心を満たすのはなぜだと思いますか。
天の御父よ、私はつい周りの人に認められることを求めてしまいます。どうかもっとあなたを意識させてください。あなたこそ、誰より私を知り、私を愛しておられるのですから。