人口7万人のテクサーカナ市は、テキサス州とアーカンソー州にまたがっています。それぞれの側に市長がいて、市議会、消防や警察があり、高校のスポーツ大会では、多くの住民が集まり地元への忠誠心を示します。州法が異なるので、共同の水道システムの運営に関する論争などもあります。しかし、この町は統一性ある共同体として知られています。市民たちは毎年、州の境界線になっている道で恒例の食事会を催し、ひとつの共同体であることを祝います。
コリント市は通りで分断されてはいませんでしたが、教会の人たちは分断されていました。彼らは、パウロ、アポロ、ケパ(ペテロ)など、自分を救いに導いた人にかこつけて対立していました。パウロは「同じ心、同じ判断」(Ⅰコリ1:10)でひとつになるように呼びかけました。彼らのために十字架につけられたのはキリストであり、自分たち先生ではないことを思い出しなさいと言いました。
私たちも同じことをしていませんか。イエスが自分の罪の犠牲になられたという信仰の本質で一致する人を、時に仲間ではなく敵にしてしまいます。キリストは分断されていません。信仰の本質と関係ない問題で共同体を分断してはいけません。そうではなく、キリストのうちにひとつであることを祝いましょう。
信仰の本質ではないのに、自分がこだわって分断の種にしてしまいがちなものがありますか。分断ではなく一致のために、あなたは何をしますか。
主よ、あなたの十字架の犠牲にフォーカスできるように助けてください。細かいことにとらわれず、信仰の共同体の一致を呼びかけていけますように。