幼かった娘に内住のキリストについて説明したことがありました。イエスはあなたの内におられる、と言うと、娘は「ポンポンにいるの?」と尋ねました。私は「イエスさまを食べちゃったわけではないけれど、そこにおられるのよ」と答えました。

「ポンポン」という解釈で、私は、救いの道が「腹」に落ちた日のことを思い出しました。私の救い主になってくださいと祈ると、私の内に来てくださいました。

使徒パウロは、聖霊が内なる人を強めてくださるように、キリストが、信仰によって、心に住まれますように、とエペソの人々のために祈りました(エペ3:16-17)。彼らは、内住のイエスを通して神の愛を理解し、その愛に励まされて信仰が成長しました。互いに対して忍耐し合い、真理を語り合いました(4:2、25節)。

イエスは、一度、信仰者の内に住まわれると、決して離れられません。人知を超えた神の愛は、私たちを育ててくださり(3:19)、神の深い愛を教えてくださいます。まさに、子ども向けの賛美歌が「主、我を愛す」と歌っているとおりです。