予想外のことをなさる神
私たち大勢の大学生は頭を垂れました。講師は献身の祈りを導き、国外宣教に導かれていると感じた学生は前に出るように促しました。私は友人のリネットが席を離れる気配を感じました。彼女はフィリピンで主に仕える約束をしたのです。私は立つように促されませんでした。米国にも神を知る必要のある人たちがいるので、自国で神の愛を伝えたかったのです。ところが10年後、私は英国に移って、神に賜った隣人たちの中で神と人に仕えていました。神が予想外の冒険に招かれていると悟り、思い描いていた未来図を転換させたのです。
奴隷からの解放
パキスタンのれんが工場で働くジャミラは「あなたは私たちのモーセです。奴隷状態から救ってくれました」と叫びました。彼女の一家は窯元から借りた膨大な借金の返済に苦しんでいました。わずかな稼ぎのほとんどは高い利子の支払いに消えます。しかし、ある慈善団体が返済を肩代わりすることになり、一家は重荷から解放されました。キリスト者のジャミラは、神がモーセを用いてイスラエルを解放した物語になぞらえて、慈善団体の代表に謝意を述べたのです。
御霊に満たされる
作家のスコット・マクナイトは、高校生の時、聖霊に「降参します」と宣言して、イエスを己の人生の王にしなさい、と聖会で促されました。そして「父よ、私の罪をお赦(ゆる)しください。聖霊よ、私の中に入って、私を満たしてください」と、一人祈ったそうです。彼は語ります。「その瞬間から私は変わりました。完全になったのではありません。でも、変わりました」。聖書を読み、祈り、同じ信仰の人と会い、神に仕えたいと、突然、願うようになったのです。
聞くことに始まる信仰
外傷によって声が出なくなった牧師のボブは、15年間、うつと戦いました。話せない牧師に何ができるのかという葛藤と深い悲しみを包み隠さず神に打ち明けながら。彼は語ります。「当時、すべきことが一つだけ分かっていました。神のことばを追い求めることです。私は聖書にどっぷり浸かり、人生をかけて吸収しようとしてきました。信仰は聞くこと、神のことばによって聞くことから始まるからです」。彼の神に対する愛は、聖書の熟読を通してますます大きくなりました。
試練によって強くなる
書類の中から「よくがんばりました!」と書かれたシールが出てきました。目がしみる治療を我慢して、そのシールを誇らしげにシャツに貼った4歳の息子の姿がよみがえります。斜視の治療は辛かったはずです。手術もしました。彼は、両親に見守られ、子どもの素朴な信仰で神に頼りながら、一つ一つの試練を乗り超えました。そして息子はメンタルの強い子に育ちました。
悲しみと喜び
近しい人を1カ月の間に3人も亡くし、アンジェラの家族は悲しみに暮れていました。おいが突然亡くなった後、アンジェラと2人の姉妹は、3日間、台所の食卓にじっと座っていました。動いたのは、骨壷を買い、宅配の食事をし、葬儀に参列した時だけです。しかし、死を悼む間、喜びに浸る時間もありました。それは、末の妹のお腹で順調に育つ新しい命の超音波写真を見た時でした。
大きな愛
受難週の直前、フランス南西部のスーパーにテロリストが押し入り、2人を殺害し、人質を取って籠城しました。その後、皆を解放しましたが、1人の女性だけは人間の盾に残しました。治安当局のアルノー・ベルトラーメは、人質の身代わりとなり、犯人ともみ合い負傷して亡くなりました。
心のオアシス
アンドリューは家族とサファリ旅行にケニアへ行き、低木林の中の小さな湖で、キリン、ウシカモシカ、カバ、水鳥などを見ました。皆がこの命の源である水辺にやってきます。彼は動物が行ったり来たりするのを見ていて、聖書は聖なる水飲み場のようだと思いました。聖書は、知恵や手引きの源というだけでなく、さまざまな状況の人の渇きを癒やし、元気を回復させるオアシスだと思いました。
いのちの水
アンドレアは複雑な家庭に生まれ、14歳で家を出て働き始め、友人と暮らしました。自己肯定感が低く、愛に飢えており、やがて恋人と同棲し、彼の誘いで薬物を使いだしました。飲酒は既に常態化していました。しかし、恋も酒も薬も、心の穴を埋めてくれません。彼女は探し続けました。そして数年後、数人のクリスチャンに出会いました。その人たちは、彼女に手を差し伸べて一緒に祈ってくれました。そして数ヶ月後、ついに彼女を愛情飢餓から救ってくださるお方、イエスに出会ったのです。