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Amy Boucher Pye

Amy Boucher Pye

エミー・ブシャー・パイ氏は、北ロンドン在住のライターで講演活動もしています。著作にはThe Living Cross: Exploring God’s Gift of Forgiveness and New Lifeがあります。また、Finding Myself in Britain: Our Search of Faith, Home and True Identityで賞を取りました。英国のWoman Alive Book Clubを運営し、牧師館で家族と暮らしています。ブログ(英語)をwww.amyboucherpye.comまたはFacebookかTwitterの (@amyboucherpye)で読むことができます。

寄稿一覧 Amy Boucher Pye

朝ごとに新しい

弟のポールは重度のてんかんを患い、10代になるとさらに悪化しました。夜間の発作は6時間以上も続き、当人にも両親にも耐え難いものでした。医師は一日の内の数時間は意識のある状態を確保しながら発作を抑える方法を模索しましたが、うまくいきません。両親は「神よ、神よ、助けてください!」と泣きながら祈りました。

神ではない

自分が高慢ではないかセルフチェックすることを、C.S.ルイスは『キリスト教の精髄』の中で勧めています。ぞんざいに扱われる、無視される、見下される、自慢を聞かされる。このような扱いを受けたとき、どれほどの嫌悪感を抱くかがひとつの指標です。ルイスは、高慢は諸悪の根源で、家庭や国家を惨めな状況にすると考えました。それは「霊の癌」で、愛、満足、良識を食い尽くすと述べました。

すべてをささげる

芸術を極める途上でイエスと人々に仕えるために方向転換をした人たちがいます。ジェームズ・O・フレイザー(1886–1938)は、コンサートピアニストになる夢を捨て、中国のリス族のために尽力しました。聖歌541番「みなささげまつり」を書いた米国人のジャドソン・ヴァン・デーフェンテル(1855–1939)は、芸術家の道を捨て、巡回伝道者になりました。

成熟のプロセス

チャールズ・シメオン(1759-1836)は英国ケンブリッジで50年牧師をしましたが、新米の頃、近所の教会の牧師ヘンリー・ベンと娘たちに会いました。シメオンはきつくて自己主張が強い、と娘たちが言うと、ベンは、桃の木から実を取って来るように言いました。娘たちが、熟していないのになぜかと尋ねると、「そうだろう。果実はまだ青いから待たなくてはいけない。太陽や雨の恩恵をもう少し受けるなら、熟して甘くなる。シメオン先生も同じだよ」と言いました。

建て直す

ドウェインはヘロイン中毒と窃盗が原因で、南アフリカ、ケープタウンのマネンバーグ地区の家を17歳で出ましたが、そうはいっても、トタン板で建てた裏庭の小屋に移っただけです。そこはやがて「カジノ」と呼ばれ、薬物乱用の場となりました。ところが、ドウェインは、19歳でイエスに出会いました。その後の道のりは長く苦しいものでしたが、神の助けと信仰の友の支えによって、薬物依存を断ち切り、回復しました。「カジノ」を作ってから10年後、ドウェインと仲間たちは、ここを家の教会にしました。暗く不吉な場所が、礼拝と祈りの場に変えられたのです。

常に感謝する

マルティン・リンカートは17世紀、ドイツのザクセン州で30年以上、牧師として働きました。それは疫病が蔓延したり戦時中だったり、という時代で、ある年には4千人以上の葬儀を執り行い、その中には妻の葬儀も含まれていました。食料不足で家族と空腹に耐える日々もありました。しかし、絶望的な状況下でもリンカートの信仰は揺るがず、絶えず神に感謝していました。実際、彼の感謝は、多くの人に愛される「いざもろともに」(聖歌291番)という賛美歌を生んだのです。

神が語るとき

聖書の翻訳に従事するリリィは帰国しようとして空港で拘束されました。スマホを調べられ、新約聖書の音声アプリが見つかったので、それを没収された上、2時間も尋問されました。それを起動するように係官たちに求められ、従うと、マタイの福音書7章1~2節が読まれました。「さばいてはいけません。さばかれないためです。あなたがたがさばくとおりに、あなたがたもさばかれ、あなたがたが量るとおりに、あなたがたも量られるからです」。これを自分たちの言葉で聞いて、係官のひとりは青ざめました。リリィは釈放され、その後もなしのつぶてです。

よそ者を愛する

外国に転居して間もない頃、よそ者扱いをされました。夫が礼拝説教をする小さな教会で座っていると、老紳士がじろっと見て「そこをどきなさい」と言ったのです。彼の妻は詫びながらも、自分たちはいつもそこに座っていると説明しました。かなり経ってから、その教会では昔、教会員がお金を払って席を確保し、その賃料を教会財政の足しにしたと知りました。そういう背景で、誰それの席という考え方が長く受け継がれていたのです。

キリストを映す

その少女は快活でしたが、4歳で母を亡くすと、心が不安定になりました。しかし、何年も経ったあるクリスマスイブ、主の降誕を教会で祝った後、恐れから解放されたのです。彼女は、天国を離れた神が、イエスという人になって自分の中に住まわれたので、この変化が起こったと考えました。リジューの聖テレーズと呼ばれる修道女の話です。