聖なる道
初期の認知症と診断された頃、ジェニファーは文字を読むことに負担を感じていました。そこで、音声版の聖書を使い出しました。聖書を聴くと、知っている御言葉も新鮮に迫ってきました。例えば、彼女は道に迷ったり、人の顔が分からなくなったり、野生動物の幻覚を見たりして、不安や恐怖を覚えます。すると、イザヤ書35章8節の「その道は聖なる道と呼ばれ……」という箇所を聴いて、神の慰めを頂きます。「そこに、獅子はおらず 獣が上って来て襲いかかることもない。解き放たれた人々がそこを進み 主に贖(あがな)われた人々は帰って来る」(9-10節)と。
謙遜で恵み深い与え方
オズワルド・チェンバーズと妻ビディーは、自分たちの信条に基づいて聖書学校を運営しました。それは困窮者を拒まないというものです。世知に長けたロンドンっ子たちはがくぜんとしました。利用されるだけと。それに対し、チェンバーズは同調など求めず、静かに語りました。「私の責任は与えること。神は求める人を顧みられます」。この学校は、彼が従軍牧師としてエジプトに赴任するまで続きました。二人は神の気前の良さに倣ったのです。
イエスが輝く
母親が亡くなった時、ジョニー・エレクソン・タダは、体はキリストを入れる「土の器」ということについて考え、「土の器」の現代版は、段ボール箱だと思いました。最愛の母であった「箱」は、今や崩れて空っぽでしたが、キリストの御霊という宝が宿っていたのです。
涙と希望
イエスのエルサレム入城を祝う棕櫚(しゅろ)の日曜日は、メアリー・エドワーにとって、耐え難い悲しみの日となりました。礼拝後に夫婦で手をつないで歩いていたところ、爆弾が爆発し、夫は死亡、自身は負傷、そして流産したのです。
豊かに育つ愛
中学生の頃、夏季キャンプでからかわれて傷つきました。心配して様子を見に来てくれたリーダーのことを無視しましたが、後日、手紙をもらいました。それを読んで、私は神に大切に思われていると感じることができました。そこに引用されていた、「あなたがたの中で善い業を始められた方が、キリスト・イエスの日までに、その業を成し遂げてくださる」(フィリ1:6)は、自分に向けられた言葉のようでした。
外国籍の人々を守る
国際都市ロンドンは、多国籍の人々が隣り合って暮らす街です。各国のグルメが楽しめますが、社会的な問題もあります。例えば、ある友人は、EUに遅れて加盟した国の出身者ですが、自分たちは偏見にさらされていると言いました。諸問題の原因を作ったと言われ、元々いた人から職を奪っていると恨まれていると。
恐れから喜びへ
音楽と語りが初めてラジオで放送されたのは、1906年のクリスマスイブのことで、それを受信したのは、大西洋上のアメリカ海軍や民間の船舶だったといわれています。通常の無線のビープ音やパルス音ではなく、レジナルド・フェッセンデンのバイオリン独奏『さやかに星はきらめき』が流れ、「いと高きところには栄光、神にあれ」(ルカ2:14)という天使の賛美の部分が朗読されたそうです。これを聴いた人たちは、イエスの誕生をたたえる美しい音楽と御言葉にたいそう驚き、感動したに違いありません。
御言葉を歌う
ジュリーは、日課のデボーションで、御言葉を歌うことにしました。歌っていると、頭でも心でも、そのことを信じ、行うようになったと言います。彼女は、御言葉を声に出して歌うことで、自分の外見に対するコンプレックスに、神の真理の光が当てられることを望んでいました。
神がなされること
ロンドン大空襲の最中の1940年12月29日。セント・ポール大聖堂そばの倉庫が空襲で全焼しました。その日、ビディーは、亡き夫の著作を自身が編さんした4万冊の本が焼失したと知りました。保険はかけられていません。しかし彼女は冷静に娘に言いました。「神はご自分の栄光のために、あの本を用いられたけれど、それはもう終わり。今度は何をなさるのか、静かに見ていましょう」