トースターでパンを焼けるのは、19世紀末の激しい論争の結果です。当時、発明家のエジソンとテスラは、電力供給のシステムについて、争っていました。直流電流か交流電流かです。
最終的に、テスラの交流の考えが優勢になり、世界中の家庭や工場、町のあらゆる場所で使われるようになりました。交流電流は、遠くまで効率的に送電できるので、賢い選択だったといえます。
クリスチャンの間に考え方の違いがあった場合にも知恵が必要です(ロマ14:1-12参照)。使徒パウロは「もし、あなたがたがどこかでこれと違った考え方をしているなら、神はそのこともあなたがたに明らかにしてくださいます」(ピリ3:15)と述べ、神に知恵を求めるように語ります。少し先を読むと、意見の違いで仲違いしたふたりがいたと分かります。この確執にパウロは悲しみ、「ユウオデアに勧め、スントケに勧めます。あなたがたは、主にあって一致してください」(4:2)と嘆願しました。
意見の違いによって分裂が起こり始めたら、まず、聖書の中に神のあわれみと知恵を求め、次に祈りの力と成熟した信徒の忠告を求めましょう。主にある一致に向けて努力しましょう(2節)。
個々の好みの違いに起因する不協和音に、神のあわれみと知恵をどのように適用しますか。こういう確執に向き合うとき、なぜ祈りが不可欠なのでしょう。
神よ、人生は複雑です。今、どちらへ行くべきか分かりません。聖霊によって、次はどうすべきか、教えてください。