多くの人が、世代を超え、気持ちよく賛美をささげていました。しかし、彼女は例外でした。泣きだしそうな赤ん坊をあやし、5歳の子に歌集を見せ、真ん中の子が走り出さないように押しとどめています。その時、後ろの席の年配の男性が、よちよち歩きの子の手を引いて会堂の中を歩こうと申し出ました。さらに、若い女性が上の子のために歌集を持ってくれました。状況は一変し、彼女は目を閉じて神を賛美し、礼拝しました。
老若男女、信仰歴の長い人も浅い人も、すべての人が、いつでも礼拝できることを、神は願っておられます。モーセは約束の地の手前で、「民を、男も女も子どもも集めなさい。あなたの町囲みの中にいる寄留者も。彼らがこれを聞いて学び、あなたがたの神、主を恐れ、このみおしえのすべてのことばを守り行うようにするためである」と促しました(申31:12)。世代を超えて皆で神を礼拝するなら、神は誉れを受けます。
あの朝、あの教会では、助けたり助けられたりすることで、それぞれが神の愛を経験しました。次に教会に行くとき、あなたは助ける人になるでしょうか。それとも助けてもらう人になるでしょうか。そうやって、神の愛を味わっていくでしょう。
世代や文化の違う人たちと「キリストのからだ」を感じる経験をしたことがありますか。神の愛を教会で与えたり、受けたりしましたか。
愛の主よ、あなたは礼拝をささげに来たすべての人々に、自分は歓迎されていると感じてほしいと願っておられます。人の必要に気付き、愛の手を差し伸べる人にならせてください。