理由も言わず長年の友が去り、私は気持ちを整理しようと、C.S.ルイスの『四つの愛』を再読しました。ルイスは、傷つくことをいとわないのが愛だと説き、そこに「安全な投資」はないと語ります。それを読んで、ヨハネの福音書21章の記述について、以前とは別の感慨を持ちました。
3度もイエスを否んだペテロに(ヨハ18:15-27)、イエスは言われました。「ヨハネの子シモン。あなたは、この人たちが愛する以上に、わたしを愛していますか」(21:15)。主は、圧力ではなく謙虚な優しさをもって、裏切った人にこう尋ねて、なおもペテロを愛するつもりだということを、あわれみ深く示されたのです。
聖書は、イエスが3度もこう聞かれたので、ペテロは心を痛めたと語ります(17節)。しかしイエスは、人を愛し(15-17節)、ご自分に従うことを通して(19節)、主に対する愛を証明しなさいと言われました。無条件に愛するというリスクを冒しなさいと、全てのキリスト者に語りかけておられます。イエスは「あなたはわたしを愛していますか」と私たちに問いかけられ、各人はその問いに答えなければなりません。そして、その答えは私たちの愛し方を左右します。
神はなぜ、傷つく危険を冒してまで愛せよと言われるのでしょう。傷つくことを恐れずに人を愛せることと、神と親しく結ばれていることは、どのように関係していますか。
愛の神よ、傷つくのを恐れて私が立てた壁を壊してください。そうすれば、私は御霊に力づけられ、勇気とあわれみと一貫性をもって神と人を愛していけます。