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Xochitl Dixon

Xochitl Dixon

ソーチル・ディクソン氏は、読者が神の恵みを喜んで受け入れ、キリストとの関係や人間関係を築くために励まし、支えることを目指します。執筆や講演活動をする中、xedixon.comにてブログを公開しています。趣味は歌を歌うこと、読書、写真撮影等です。また、一番の親友であり夫のW.アラン・ディクソンSr博士との結婚生活や子育ての毎日を楽しんでいます。(注:サイトは英語のみ)

寄稿一覧 Xochitl Dixon

宣伝どおりに

夫婦でジョージア州に旅行したときチャタフーチー川で川下りをしました。「ゆったり川下り」とパンフレットに載っていたのでワンピースにサンダル履きだったのですが、急流下りのようです。しかし、急流下りのベテラン夫婦がいて、目的地まで誘導してあげると約束してくれました。私は、ボートの手すりを握りしめ、悲鳴を上げ、救命胴衣に感謝しつつ下っていき、やがてぬかるんだ岸辺に到着しました。ボートを降り、バッグに入った水を捨て、濡れた服の裾を絞りました。宣伝文句は間違っていましたが、大はしゃぎをして楽しみました。

完全な父

混みあった店のカードの棚の前で、私が送るにふさわしい父の日のカードを探していました。長年の冷え切った関係は回復したものの、私は一度も父を親しく感じたことはありません。隣にいた女性は、持っていたカードを棚に戻しながら「父親とうまくいっていないけど、すべきことをしたい、という人のためのカードを誰か作ってくれないかしら」と呟き、その場を立ち去りました。

心安らかに耐え忍ぶ

神を信じていても慢性痛と戦っていると、ほんの少しのことで猛烈な攻撃に襲われたように感じます。次から次へと前後左右から打ち叩かれているようです。すぐにはどうにもならなくて気力が萎えていくとき、どこかに逃げ出したいのですが、痛みからは逃れられません。状況を変えたり、己の感情を無視したりもできません。私は神に頼って忍耐することを少しずつ学んでいます。

実地訓練

サイエンスキャンプの引率者として奉仕して欲しいと息子の先生に頼まれましたが、生徒たちの模範になれないと思ってちゅうちょしました。私は神のおかげで、息子を愛して育てることができましたが、他人のために用いられる器ではないと思っていたからです。しかし、神は時と共に人の心と人生を変えてくださる唯一のお方です。私は聖霊の促しによって、使徒パウロが信仰の実地訓練だとテモテを励ました言葉を思い出しました。

祈りによってのみ

夜遅く、がんで闘病中の友人から電話がありました。泣きじゃくっています。私はもらい泣きをしながらも「主よ、どうすればよいのですか」と、心中、祈りました。彼女の嘆きに胸が締め付けられそうです。身体や心の痛みを軽くしたり、何とかしたりするどころか、気の利いた励ましの言葉も思いつきません。しかし、助けてくださるお方は知っています。私は泣きながら「イエスさま、イエスさま」と呟きました。すると泣き声がすすり泣きになり、彼女の深い呼吸が聞こえてきました。やがて友人の夫が「妻は眠りました。明日電話します」と電話口で言いました。私は祈りつつ、涙で枕を濡らして眠りました。

成長させる方に栄光を

ある日、庭の駐車スペースの脇に黄色い水仙が咲いていました。大きなふたつの石の間から6本の水仙が伸びています。それを植えた覚えも、肥料や水をやったこともなかったので、どういう訳でここに咲いているのか不思議でした。

折れない

私はカリフォルニア生まれで、寒いところは苦手ですが、美しい雪景色の写真は大好きです。イリノイ州に住む友人が自宅の窓から見える若木の写真をSNSでシェアしたときは嬉しくなりました。しかし、その気持ちは、きらきら光る氷柱の重さでしなる枝を見てしぼんでしまいました。あの枝は、あとどれぐらい耐えられるでしょう。重荷を負って折れそうな枝は、心配で圧倒されている私の心を映していました。

大胆に与える

友人が昔、幼い子どもを連れて遊びに来た時、当時6歳の息子ザビエルがおもちゃをあげると言いました。息子の気前の良さを嬉しく思いましたが、夫が方々探して買ってきた人気のぬいぐるみを持ってくると複雑でした。友人もそれがレア物と知っていて遠慮しましたが、息子は子どもにおもちゃを握らせて「僕のパパは、みんなと分けるように、おもちゃをいっぱいくれるから」と言いました。

すぐに駆け付ける

母が癌だと言われたとき夫は職場にいました。それで伝言を残して友人や親戚に電話をしました。しかし誰もいません。震える手で顔をおおい泣きました。「主よ、助けて下さい」すると「私はここにいる」と返事があったように感じ、孤独な瞬間でさえ、慰めがありました。夫が帰宅し、親戚や友人が心配して連絡してきてくれたのはありがたいことでした。しかし、ひとりで悲しみに耐えていたときに神の臨在を感じたことで、私は、いつどこで助けを求めても、神は必ずすぐにそばにいてくださると確信しました。